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宮田又鉱山は、旧荒川村の四方山に囲まれた山間部に位置していた。図M-3に位置を示す。宮田又鉱山は国有林のなかにあり、その鉱区所在地は「秋田県仙北郡協和町荒川牛沢又沢国有林39林班の中に位置し、宮田又沢川の源流というべき大鍋倉山の山麓に開かれた海抜220米の地」<3>あるいは「秋田県仙北郡荒川村宮田又国有林地内」<4>とされている。
宮田又鉱山社宅域にあった小学校の設立当時の住所は「荒川村字宮田又一番地」<5>であった。すなわち、宮田又は荒川村の字(あざ)の住所を有し、番地も組み入れられていた。荒川村が合併し協和村になり、さらに大仙市に合併したので、旧荒川村の地域の住所は大仙市大字協和荒川の下に小字が付せられる。すなわち、もし宮田又が今もまだ生活域として存在しているならば、現住所は大仙市協和荒川字宮田又○○番地となっているはずである。しかし、現在において、協和荒川の小字に宮田又が見られるのは「宮田又沢牛沢又」<6>があるのみで、かつての宮田又鉱山の地に繋がる住所は存在しない。
鉱山職員や鉱員が居住する社宅域は宮田又沢川に沿って位置し、鉱山の採鉱事務所や選鉱所は宮田又沢川支流である利沢川の大鍋倉沢<7>に沿って設備されていた。
宮田又は12月に降雪期に入り、積雪期間は長く、4月までの間60cmから2m余りの積雪量となる<8><9>。
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<3> 註1『宮田又鉱山誌』1頁。社宅地域の標高は140m前後である。
<4> 秋田県経済部鉱務課編『秋田県鉱山誌』(秋田県経済部鉱務課、1951年)73頁。
秋田県地下資源開発促進協議会編『秋田県鉱山誌 2005』(秋田県鉱山会館、2005)164頁では単に協和町と記されている。
<5> 協和町史編纂委員会『協和町史』下巻(協和町、2002年)87頁。
<6> 協和町史編纂委員会『協和町史』上巻(協和町、2001年)71頁。
<7> 利沢川の名称は国土数値情報(河川データ)平成18年国土交通省による(http://nlftp.mlit.go.jp/ksj/jpgis/datalist/KsjTmplt-W05.html)
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大鍋蔵沢の名称は進藤孝一『宮田又鉱山史(第一集)』(私家版、1973年)1-2頁による。
<8> 註4『秋田県鉱山誌』73頁。
<9> 旧協和町は平成26年(2014)4月1日現在、国土交通省によって特別豪雪地帯に指定されている(https://www.mlit.go.jp/common/001029280.pdf )。
1 件のコメント:
小生も中学校二年から高校卒業まで宮田又鉱山に住んでいました。 とても懐かしい。
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