2021年7月28日水曜日

本2冊

 <佐藤孝編 『日立鉱山山神社物語』(日本鉱業、1981年)>:日鉱記念館を訪れた際に購入したもの。大鉱山の山神社-幾つかの読み方があるが、個人的には”さんじんじゃ”と呼称している-は大きくて立派で、祭礼も盛大であった。日立鉱山では1969(昭和44)年まで山中友子にの「自坑夫渡坑夫連合取立式」がおこなわれており、日立独自の歴史を感じる。

 <高田宏 『われ山に帰る』(岩波/同時代ライブラリー、1990/初刊1982年)>:友子に関連する箇所を読み直そうと、『足尾に生きたひとびと』(村上安正、随想舎、1990年)に目を通していたら表題の本に関するする記載があり、タイトルにも惹かれて古本を購入(10円の価格で送料が3百数十円)。小山清勝を描く「伝記文学の傑作」らしいが、内容には関心も興味も出てこなかった。途中から流し読み、最後には駈け足となって終わりとする。書名の「やまに帰る」の山は「鉱山(やま)」ではない。解説は山口昌男。

2021年7月7日水曜日

宮嶋資夫著作集 第1巻

  <宮嶋資夫 『宮嶋資夫著作集 第1巻』(慶友社、1983年)>:鉱山の「坑夫」系列と呼ばれる小説が集められている。「坑夫」(1916年)、それの未定稿で[資料]と付された「坑夫の死」、「恨なき殺人」(1916年)、「雪の夜」(1920年)、「犬の死まで」(1920年)、そして「山の鍛冶屋」(1926年)。括弧内は発表された年を示す。
 巻末の記載によれば著者は1886(明治19)年に生まれ、1909(同42)年秋頃から高取鉱山の現場事務員を1年数ヶ月勤め、そのときの体験と見聞をこれらの小説に作品化した。現在から約112年前のことである。しかしそれほどの時代の隔たりを感じない。自分が昭和20年代後半から30年代にかけて鉱山社宅で暮らしていたことの体験から、坑夫・鉱員の生活に多少なりとも既視感があるからからだろう。特に秋田県宮田又鉱山での社宅長屋などの記憶が大きい。ちなみに5年前に高取鉱山跡地を訪れようとしたが、水戸茂木線から少し入ったところで立ち入り禁止になっていて果たせなかった。
 全編を通じて感じることは次のようなこと。つまり、いつの世も現実から目をそらす権力者、その権力者に媚る亜権力者ともいえる管理者(管理したがり屋)、不満を身近の力ない者にぶつける者がいれば、酒に逃避する者もいる。あるいは自身の人生に悩む、瞞される、瞞す、等々の人もいる。言ってしまえば時代を超え、異なる舞台で同じような事を繰り返すということ。小説を読むとは一つにはその舞台を楽しむようなものなのであろう。そして、その舞台に普遍性や真実を求めようとすることが歴史に触れることの一側面なのであろう。
 『坑夫』は1916年に出版され、ただちに発売禁止となったが、読んですぐには、どこが、なぜそうなったのか分からなかった。1920年には『恨なき殺人』に収録され、7カ所が伏字になった。明治から大正、昭和には拍車がかかるかつての日本の負の政治が連想される。
 著作集の監修をした小田切秀雄が夏目漱石の『坑夫』を巻末で酷評している。すなわち、「これは異常な体験をすることになった男に聞いての作で、成功していない」と。