2021年11月12日金曜日

荒川鉱山に関連しての一冊

<山田勲 『鉱山開発の先駆者 瀬川安五郎』(図書刊行会、1988年)>:住んでいたことのある宮田又鉱山の近隣にあった荒川鉱山、とはいっても荒川鉱山は1940(昭和15)年に閉山となっているが、自分にとっては記憶の中にある鉱山である。宮田又にいたときの運動会で、山を越えて行った荒川の大盛小学校のグラウンドに「春もうららの隅田川~」の音楽が流れていたことを覚えている。また、大盛小学校の跡地にある大盛館にはもしかしたら私が提供した宮田又小学校第一期生の写真2葉が展示されているかもしれない。

そんな意味合いもあって本書を購入したのだが、「鉱山開発の先駆者」と冠をかぶせることには抵抗がある。「荒川鉱山の民間の払い下げは、全く明治政府の民間払い下げの第一号と称して差し支えないものである。瀬川安五郎が「鉱山開発の先駆者」と言われるゆえんである」とするが、商業的に鉱山経営に乗り出すことを「開発の先駆者」と括っていいのだろうか。鉱山開発には多方面からのアプローチが必然であるが、ここには商業的に成功した経緯の一側面しか捉えられていない。

瀬川が教育に尽力したことは賞賛に値する。荒川鉱山の地域には酒場や遊郭が一軒もなかった。これは「鉱夫の経済的生活の安定と、富貴の取り締まりのうえから、鉱山内に設けることを」瀬川が「許可しなかった」のであり、これも他山の例からすれば特筆すべき事であろうが、瀬川が何故にこのような考をもちようになったのか、本書で知ることはできない。即ち、鉱山経営の功利性からなのか、あるいは瀬川の生活思想に基づくものなのか分からない。乱暴に言ってしまえば、瀬川が鉱山経営に専心するようになった真意、哲学を知ることはできない。そこが描き切れていないのが不満。

本書は5年ほど前に古書店から購入した。表紙裏に著者のサインとともに「謹呈 小野寺様」とある。読んだ形跡がなく、頂戴した人(或はその家族)は、古本屋に処分したのではなかろうかと空想を広げた。サインをして謹呈した著者が気の毒な気がする。

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7月末に上記のメモを書いていたが投稿するのを忘れていた。投稿したと思い込んでいたのだが、これも馬齢を重ねて70数年となった所為であろうと自分に言い聞かすしかない、ちょっと哀しいがことではあるが。

青木葉鉱山の坑夫取立面状を切掛に、友子関連のまとめを行おうとして文献を再読していた。一段落ついてから数ヶ月も放っていた。年内中には自分なりにまとめておこうと反省している。まとめは1回で済ませるつもりであったが、数回に及ぶであろう。

2021年7月28日水曜日

本2冊

 <佐藤孝編 『日立鉱山山神社物語』(日本鉱業、1981年)>:日鉱記念館を訪れた際に購入したもの。大鉱山の山神社-幾つかの読み方があるが、個人的には”さんじんじゃ”と呼称している-は大きくて立派で、祭礼も盛大であった。日立鉱山では1969(昭和44)年まで山中友子にの「自坑夫渡坑夫連合取立式」がおこなわれており、日立独自の歴史を感じる。

 <高田宏 『われ山に帰る』(岩波/同時代ライブラリー、1990/初刊1982年)>:友子に関連する箇所を読み直そうと、『足尾に生きたひとびと』(村上安正、随想舎、1990年)に目を通していたら表題の本に関するする記載があり、タイトルにも惹かれて古本を購入(10円の価格で送料が3百数十円)。小山清勝を描く「伝記文学の傑作」らしいが、内容には関心も興味も出てこなかった。途中から流し読み、最後には駈け足となって終わりとする。書名の「やまに帰る」の山は「鉱山(やま)」ではない。解説は山口昌男。

2021年7月7日水曜日

宮嶋資夫著作集 第1巻

  <宮嶋資夫 『宮嶋資夫著作集 第1巻』(慶友社、1983年)>:鉱山の「坑夫」系列と呼ばれる小説が集められている。「坑夫」(1916年)、それの未定稿で[資料]と付された「坑夫の死」、「恨なき殺人」(1916年)、「雪の夜」(1920年)、「犬の死まで」(1920年)、そして「山の鍛冶屋」(1926年)。括弧内は発表された年を示す。
 巻末の記載によれば著者は1886(明治19)年に生まれ、1909(同42)年秋頃から高取鉱山の現場事務員を1年数ヶ月勤め、そのときの体験と見聞をこれらの小説に作品化した。現在から約112年前のことである。しかしそれほどの時代の隔たりを感じない。自分が昭和20年代後半から30年代にかけて鉱山社宅で暮らしていたことの体験から、坑夫・鉱員の生活に多少なりとも既視感があるからからだろう。特に秋田県宮田又鉱山での社宅長屋などの記憶が大きい。ちなみに5年前に高取鉱山跡地を訪れようとしたが、水戸茂木線から少し入ったところで立ち入り禁止になっていて果たせなかった。
 全編を通じて感じることは次のようなこと。つまり、いつの世も現実から目をそらす権力者、その権力者に媚る亜権力者ともいえる管理者(管理したがり屋)、不満を身近の力ない者にぶつける者がいれば、酒に逃避する者もいる。あるいは自身の人生に悩む、瞞される、瞞す、等々の人もいる。言ってしまえば時代を超え、異なる舞台で同じような事を繰り返すということ。小説を読むとは一つにはその舞台を楽しむようなものなのであろう。そして、その舞台に普遍性や真実を求めようとすることが歴史に触れることの一側面なのであろう。
 『坑夫』は1916年に出版され、ただちに発売禁止となったが、読んですぐには、どこが、なぜそうなったのか分からなかった。1920年には『恨なき殺人』に収録され、7カ所が伏字になった。明治から大正、昭和には拍車がかかるかつての日本の負の政治が連想される。
 著作集の監修をした小田切秀雄が夏目漱石の『坑夫』を巻末で酷評している。すなわち、「これは異常な体験をすることになった男に聞いての作で、成功していない」と。

2021年6月16日水曜日

『友子』

 <高橋揆一郎 『友子』(河出書房新社、1991年)>:『日本の鉱夫-友子制度の歴史-』の参考文献目録でこの本を知り、90円(送料・手数料が430円)で古書店より購入。出版翌年に新田次郎文学賞を受賞。日立鉱山に材を取った小説を書いている作家の名を冠にする賞に相応しい一冊であろう。
 「友子」とはなんぞやと、簡便に知るにはこの一冊があれば十分である。舞台は歌志内の炭砿であり、金属鉱山(以下鉱山)とはやや趣が異なる気がしないでもないが、「友子」の全容を知ることが出来る。但し、書かれていることが歴史的にすべて正しいとはいえず、諸説があるということを頭の隅に入れておくことが必要である。
 著者は、私の父親より5歳年下の1928年生まれであり、私の父も鉱山で働いていたことがあり、両者とも炭砿や鉱山に日々の糧を求めた最後の世代である。そして、その父親のもとで生活していた私の年代の人たちは、幼少時や10代に炭砿・鉱山で暮らしたことのある、炭砿・鉱山生活者の最後の世代である。
 現在商業的規模で稼行している炭砿(坑内堀)は釧路にある会社が日本唯一であり、金属鉱山は鹿児島県に唯一つあるだけである。福祉や労働衛生などの側面から鉱山を研究する人たちはいるけれど、鉱山研究の場は狭まり、現地調査をするにしてもそこは廃坑(廃鉱)となっているか、あるいは跡形もなく残滓にすら触れられなくなっていることが殆どである。自ずと文献による調査研究が中心となり充足感は薄らぐばかりである。まして生活(史)は過去の文献からイメージするしかないなか、本書は炭砿で生活した著者の息吹や体の温もりを感じられ、私にとっては貴重で大切な一冊である。
 それにしても、栞紐が頁の中に挟まれたままで、読まれた形跡もない美本であるこの本が90円の価値しかないとは、廃れた鉱山を象徴しているようで寂しい。

2021年6月12日土曜日

友子(制度)の復習

青木葉鉱山の「坑夫取立免状」に書かれている内容について、自分なりにキチンと確認しようと思うと、「友子」についてもう一度きちんと勉強する必要があり、資料を読み直すこととした。手持ちの本やネットから集めた資料を読んでいるのだが、村串仁三郎の重要な本を部分的にしか読んでいなかったことに気づかされた。通教の卒論に取り組んでいたときは戦後の鉱山に関心が向いていたので、戦後にはほぼ消滅した友子については関心が薄く、鉱山史概要を捉えるだけの動機で上辺だけを追いかけようとした嫌いがあった。

2016年に書いたブログ、「20160708 日本の鉱山の概要⑧-鉱山で働くということ(3)」に友子を記しているのだが、中身は浅く、正確さに欠ける。例えば、「日立鉱山にだけは友子が戦後まで残り」と記したがこれは正しくない。日立鉱山以外にも戦後も存続した鉱山や炭鉱があった。また、「幕末に「友子」、近代には「友子」制度となり」とも書いているが、こう断定できるものではなく、「友子」「友子制度」「友子組合」などと論者によって呼称は異なっている。
当時はその安直さの中にも知った気分に陥っていたと思うと反省とともに恥ずかしくなる。少なくとも冒頭の「坑夫取立免状」を読む上でもう少し深く友子について知ろうと思う。

村串仁三郎の重要な本というのは下記のもので、図書館から借り出すのも面倒だと思っていたら比較的安価に古本を購入できた。届いてすぐに頁を開いた。もっと早く読んでおけばよかった。

 <村串仁三郎 『日本の鉱夫-友子制度の歴史-』(世界書院、1998年)>:著者自身が「『資本論』から鉱夫の歴史・レジャー・国立公園の自然保護史の研究へ()」で述べているように、著者の「これまでの友子研究を総括して書きおろし」たもの。

2021年5月23日日曜日

青木葉鉱山、坑夫取立免状 (1)

 数年前に、ある人から青木葉鉱山における1929(昭和4)年の「坑夫取立免状」を頂戴した(原本からのコピー)。取立免状そのものを見ることは初めてのことであり、それだけで嬉しくはあり気にはなっていたが、何もせずにそのままにしていた。
 内容的に目新しいことは何もないが、キチンと目を通し、自分が知らないこと、分かっていないこと、いままでに知ったこととの関連性などを、自分のメモとしてまとめておこうと思う。
 まとめるに当たっては2回に分ける。1回目はこの「坑夫取立免状」を、資料的意味を込めてそのままに記載する。旧字体・異体字も(できるだけ)そのままにする。表紙とその次の頁および最後の2頁は図として載せる。全てを図としてそのまま載せるのではなく、わざわざ書き改めるのは、①書き改めることで読みやすくなること、②精読することになること、③掲載ボリュームを減らすこと、④データとして取り扱いやすくなること、等にある。
2回目は本取立免状の内容を確認することにある。行き当たりばったりであるので、どうまとめられるか不安であるが、出来るだけ一般論的な事柄に言及して整理しようとも考えている。取立免状や山中友子については多くの研究書や論文があることは十分に承知しているが、自分の知らないことや理解していないこと、再確認したいことを中心に記述する。

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(注:以下、子分以外の人名末尾には押印がある。子分に押印はない。)


親分 越後國産      神田義丸
依母兄 岩代國産    渡邊邦吾、       子分 越後國出生     五十嵐運次郎
親分 羽後國産      永井寅吉、
依母兄 岩代國産    松本亀雄、       子分 岩代國出生     山崎武
親分 越後國住人   竹内政治
兄分  岩代國住人  鎌田惣太郎、     子分 相模國出生     秋本萬治
親分 岩代國産      吾妻梅雄
依母兄 岩代國産    桑原登、          子分 岩代國出生     佐藤彌四郎
親分 岩代國産      伊藤平治
依母兄 岩代國産    佐藤彌三郎、    子分 岩代國出生     佐藤秀
親分 羽後國住人   後藤喜三郎
兄分 岩代國住人    佐藤信明、       子分 岩代國出生     橋本松雄
親分 岩代國住人   田中留吉
兄分 岩代國住人    鈴木定之助、    子分 岩代國出生     入倉源吉
親分 岩代國住人   藤井軍一
兄分 岩代國住人    添田一見、       子分 岩代國出生     安濟平次郎
親分 岩代國産      矢吹喜代太
依母兄 岩代國産    大塚重藏、       子分 岩代國出生     齋藤長吾
親分 岩代國住人   川名秀一
兄分 岩代國住人    國分孫治、       子分 岩代國出生     星吉臣
親分 岩代國住人   小沼元治
兄分 岩代國住人    原田賀正、       子分 岩代國出生     堀口勝一
親分 岩代國産      佐原實
依母兄 岩代國産    山口軍藏、       子分 岩代國出生     添田正江
     浪人立會
     客人立會
     隣山立會
        水澤同盟交際所
        和賀聯合交際所       岩手縣和賀聯合交際事務所印
              羽後國産     北條善次郎、         陸中國住人  早川官次郎
              羽後國産     髙橋吉治、            羽後國産      佐々木松次郎、
     老母立會  
              越後國産     神田義丸、            羽後國産      舟木繁吉
     大當番立會             
              羽後國産     永井寅吉
     箱元立會
              飛騨國住人  長田元助
     頭役立會
              越後國住人  渡邉伴吉
     事務所立會
              大和國出生  小平政照
     飯場立會
              羽後國産     沓澤多吉
     自坑夫立會
              越後國住人  府中榮助
     渡坑夫立會
              羽後國産   佐々木與七
     平立會
              羽前國産     菱沼藤太郎、         岩代國産     川上酉吉
              羽後國産     一ノ關豊太郎、      越後國住人 中川政五郎
              岩代國住人  吉成久次郎、         羽後國産     髙橋專吉
              羽後國産     荒川幾松、            越後國住人 府中研司
              羽後國産     佐藤鉄之助、         岩代國住人 渡邉惣太郎
              岩代國産     原田今朝治、         羽後國産     五十嵐彌三郎
              陸中國産     赤坂勝太郎、         越後國住人 今井義雄
              岩代國住人  髙原長之助、         岩代國産     菊多勝四郎
              岩代國住人  藤田一、                羽後國住人 山本鉄治
              岩代國産     安濟孫惠、            岩代國産     小林勝四郎
              岩代國住人  根本耕作、            岩代國住人  橋本留作
              岩代國産     清野雲次郎、         岩代國住人  渡邊卯之助
              岩代國住人  原田長右エ門、      越後國住人  五十嵐常雄
              羽後國産     藤岡庄吉             羽後國産     後藤喜代一
              岩代國産     渡邊初見、            岩代國産     𣘺本今朝治
              岩代國産     佐藤豊吉、            岩代國産     鈴木菊藏
              岩代國住人  橋本利光、            岩代國産     増子金一
              岩代國産     渡邊兵藏、            岩代國住人  石田彌惣治
              岩代國産     橋本利江、            岩代國住人  小沼元市
              岩代國産     増子金雄、            岩代國住人  鈴木林十
              岩代國産     渡邊今朝吉、         岩代國産     近藤今朝夫
              岩代國住人  青野正成、            越後國産     坂爪清
              岩代國住人  佐藤見吉、            岩代國産     後藤春治
              岩代國産     五十嵐美徳、         岩代國産     橋本榮
              岩代國産     矢吹喜代一、         岩代國産     渡邊吉次
              岩代國産     大𣘺万吉、            岩代國住人  橋本卯傳治
              岩代國産     佐藤大五郎、         岩代國住人  佐々木喜藏
              岩代國産     髙原政雄、            岩代國産      佐藤重蔵
              越後國産     坂爪正夫
中老立會  
              岩代國住人 添田一見、            岩代國住人 國分孫治
              岩代國住人 原田賀正
鎚分
              岩代國住人 紺野満壽
自坑夫世話人
              下野國住人  屋代武男、            岩代國住人 菊地金作
              岩代國住人  山口忠作、            岩代國住人 阿部三郎,
堀子世話人
              岩代國産    佐藤孫四郎、        岩代國産  三浦登、        岩代國産 渡邊虎太郎
大工世話人
              岩代國産    鈴木由太郎、           羽前國産  小野谷藏

 山例五十三ケ條抜書申渡事
         諸鑛山不此格例
            三法
     一 金格子破之事
     一 柱根堀之事
     一 鑿角先送之事
右三ケ條相背ニ於テハ屹度可爲山例也
一、  四本柱四ツ留二可寄
         但シ壹尺六寸榊矢入へシ
         出山入山
    一、税金格孑者七五三ニ可巻事
         四ツ留名前
    一 左正面柱         天照皇大神宮
    一 右正面柱         春日大明神
    一 左二本目         八幡大明神
    一 右二本目         山神宮
    一 左三本目         荷大明神
    一 右三本目         不動明王
右三ケ條於相背者屹度山例可申者也
         布木
            藥師如來
    一 三十六枚ノ矢抜者天ノ三十六童子形取也
化粧木
    一 神前ノ鳥居ヲ表ス也
    一 喧嘩口論致問敷事
右之條々堅ク相守申者也
         出世條例
第壹條
一、  當山二於テ出世ヲ爲セシ坑夫タル者ハ平素能ク其ノ職親ヲ父母ノ如ク貴フヘキ
        モノニシ必ス不遜ノ擧動アルヘカラザル事
第貳条
一、當山ニテ出世ナセシ坑夫タル者ハ三ケ年間ハ如何ナル事情アリト雖モ他ニ行義
       務ニ背クベカラザル事
  但シ自身ノ病氣又ハ父母ノ病氣及徴兵適齡二相當シ止ム事ヲ得ス暇ヲフノ場合
  ニ於テ病氣ハ師ノ診書ヲ要シ徴兵召集二付テハ通知書ノ確然タルモノヲ
  證明スヘシ
第三條
一、今回出世ヲセシ免行シタル事ヲ各自ニ示シ而シテ三ケ年間鎚分=テ其
       職二稱フヤ否ヤヲ看爲シリ置キ別條但シ書ノ場合ニ至リテ之ヲ與フルモノトス
第四條
一、職親ヲ蔑シ其ノ道ヲ盡サス又ハ懶惰ニシテ職業ヲ怠リ脱走ヲシ他人二迷
       ヲ掛ケタ者ハ免ヲ取消シ之カ云々明記シ諸鑛山ニ通知シテ其職ヲ停止スル
       コト
第五條
一、前各條抵シタルモノハ他山立會ヲ要セスシテ整理及ヒ鎚分世話人ノ熟考ヲ
       テ免狀ヲ取消スヘキ事