2018年3月5日月曜日

鉱山つながりで栃木県某所にでかけた

さんざんサボっているこの鉱山関連のブログに対し、栃木県某町(以下Z町)在住の某氏(以下Aさん)よりメールをいただき、それが縁で3月1日にAさん宅に伺うこととなった。Aさんは「鉱山と鉱物などに興味がありいろいろやって」いらっしゃる方で、グーグルで鷲尾義男さんを検索したところ私のブログを知ったとのことである。鷲尾氏は会津若松市の駅近くに住んでいらっしゃった方で会津の民俗や鉱山に造詣の深く、私はその著作や他の鉱山関連の資料を求めて福島県立図書館などに足を運んだことがある。既に鬼籍に入られたと聞いた。

8時頃に東武線に乗り栃木県方面に向かった。この日は天気予報にて朝の強風や降雨への注意が呼びかけられていたが、自宅を出るそのときに雨は止み、風も気にするほどではなかった。しかし、気温が20度近くまで上昇するということで着たレインジャケット一枚ではまだ朝は寒かった。北関東方面に向かって電車に乗るのは、多分、酔って春日部駅を乗り過ごしたとき以来と思う。通勤時間帯に東京と反対方面に乗ると乗客は少なく、時間が経つにつれてその人数は減っていく。数日前に購入したワイレスレシーバーにShureのイヤホンを接続し、ケルティック音楽を耳に流し、建物が疎らになる風景をぼんやりと眺め、何回かの乗り換えを経て初めてのz駅に降りた。

駅に迎えにきていただき、ピックアップしてもらった車でAさんの自宅に向かった。閑静な住宅地にある家の玄関に入ると目に飛び込んだのは標本棚の鉱石で、これでもうAさんの入れ込み度合いがうかがえた。リビングに入るとまたもや鉱石-「鉱物」の方がより広い意味を有するが自分には「鉱石」がしっくりくる-が沢山並んでおり、本もある。本の背表紙を眺めると、私が図書館で写真を撮り、あるいは借りだしたものがあり、4~5年前に鉱山関連文献に取り組んでいた時間を思い出した。鷲尾さんの数々の著作や『東北鉱山風土記』、小和田淳さんの鉱山史の本等々、周りに鉱石、目の前に鉱山の本、美味しいコーヒー、・・・・幸せな時間である。友子の取立免状の原本を手にしたときも何といえばいいのだろう、感激であった。
2階に案内されて標本室に入ったときは一言でいえば喫驚、感激。いろいろと説明していただくなかで、掌にのる透明感のある鉱石をみればチェーンやピンを付ければ素適なアクセサリーになるなどと、そのアクセサリー化した不埒なイメージが頭に浮かぶ。正直、これらが誰のものでもなければポケットに入れたいほどであった。時間をかけ、自分の足で鉱石を捜し、あるいは購入し、その厖大な労力と集中する姿勢にただただ敬服するばかりである。

私が鉱石に触れたのは宮田又鉱山で生活していた幼い頃のことで、ガラス瓶の周囲をセメントで固めてそこに黄銅色の鉱石や水晶などを埋め込んだ花瓶は日常的に目にしていたし、掌にのる小さな鉱石や大きな重い鉱石も当時は珍しいものではなかった。珍しいものではなかったせいなのか特段の興味を抱くことはなかった。鉱石といえば宮田又時代を思い出すのであるが、横田鉱山時代には鉱石には特に思い出すこともない。鉱石花瓶の記憶もないし、社宅内に鉱石を置いていた人も思い出さない。宮田又鉱山時代から横田鉱山時代はテレビが一般家庭に普及する流れの中にあり、鉱山に働く人たちの関心も鉱石などの身近なものから乖離していったのではあるまいか。
現在、私の自宅にある鉱石は秋田大学鉱業博物館(通称)で購入した黒鉱のみで、秋田大学鉱山学部のシンボルマーク(?)が徴されたアクリル様プラスティックで固められている。

昼食をごちそうにもなり、昼過ぎには私が興味を示した鉱山機械の本や砲・列車砲の資料を貸していただけた。これは家に帰って眺め、コピーをとる心算。そして、私のために用意されていた「坑夫取立免状」のコピーと「日本の鉱山絵葉書」の第1~3集を頂戴し(現在は入手が容易くない)、本好きの私にとってはこの上もない嬉しさでいっぱいである。Aさんに深く感謝!

帰宅後、Aさんに奨められた『鉱物コレクション』をすぐに購入した。そして、かつて卒論作成のために集めた論文・文献のタイトルを久しぶりに眺め、当時とは少し違った視点(例えば明治期における鉱山への視点など)でWebcat PlusJ-STAGE、国会図書館、その他のWebにアクセスした。いくつかの資料をDLした。時間をかけて見てみようと思う。何か今までにない気付きがあるかもしれない。

<青木正博監修 『鉱物コレクション ~コレクターが語る鉱物の魅力~』(誠文堂新光社、2014年)>:写真が美しい。鉱物に魅せられた人たちはもうそこから出ることなく深く深く浸っていくばかりのかと思う。この本を読んでから「元素図鑑」を引っ張り出して眺めた。これも美しい。しかし、鉱物にのめり込むことはしない。それは多分に、富士山は登るものではなく遠くから眺めるものと思っていることと相通じるものがあるかもしれない(?)。秋田大学鉱業博物館で購入した『鑛のきらめき』を何年かぶりに開いてみよう。以前とは異なる思いでページを捲られる気も少しある。
コレクター、自分には関係ないと思っていたが実はそんなことはない。60年代70年代の内外のポップスは友人たちに呆れかえられるほどの曲数を集め楽しんでいるし(もうネタ切れに近い)、限られた範囲ではあるが、鉱山関連の資料をPCに入れてミニコレクターに近い傾向がある。
 元素、鉱物、鉱山史とたどると、それは宇宙(元素)-地球(鉱物)-人々の歴史-日本の歴史-鉱山史-個人史・・・・と連なり、自分は最後の方に立っているのだと改めて思う。もちろんそれぞれが別個にある訳でもなくてすべて一直線上に繋がっているわけで、全体を眺める視座をとりあえずはどこに置くのかということに過ぎない。・・・・段々と訳の分からないことを書いてきているようでもありこの辺でやめておこう。