2024年4月11日木曜日

山例五十三條に関する雑記

 五十三という数字に何か特別な意味があるのだろうか?連歌五十三箇条、蹴鞠五十三箇条、東海道五十三次・・・。

  素数。

  菩薩の修行段階52の次の位?

割り切れない数字は縁起がいいと言われているがその意味も含んでいるのだろうか。

浄土宗にあるらしい五十三仏。

華厳経の入法界品には善財童子が五十三人の善知識を尋ねて真実を求めてゆく旅の物語が描かれている(らしい)。この五十三が東海道五十三次のもとにもなっていると言われている(らしい)。

山例五十三條の53が妙に引っ掛かってしまい、ちょっとだけネットで調べたら余計に気になってしまった。

2024年2月17日土曜日

青木葉鉱山、坑夫取立免状 (13) 取立式②

 取立式
 取立式は多くの関係者が立ち会う厳粛な儀式である。
 一例を示せば(青木葉鉱山の実際は不明)、正面に山神の掛け軸、雄蝶雌蝶の銚子、左右に三宝を置き、右の三宝には坑夫から切り離せない鏨とセットーを水引で結わいて置かれ、左の三宝には山法集や山例五十三條も置かれる。それ以外にもいろいろな供え物-尾頭付きの魚や盛塩、米や野菜など-を置く。
 正面には役付が、その左右に立会人が並ぶ。すなわち、浪人・客人・隣山・老母・大当番・箱元・頭役・事務所・飯場・自坑夫・渡坑夫・平・中老・槌分・世話人などである。
 下座には正面に向かって列をなして親分と子分が向き合って座る。正面に向かって右側には紋付き羽織袴の親分衆、左側に取立を受ける子分たちが位置し、その服装は作業着が多かった。
 友子制度を形成する基盤は親分・子分の関係にあり、取立年月によって序列が決定される厳然たる年功序列組織である。よって親分衆も取立の早い順に上座から並んだ。
 ここまでの描写は参考文献からの引用であり、一例を示したに過ぎない。取立式とは異なるが、昭和初期の松尾鉱山の友子同盟総会の写真が式場全体の参考になろう。また、取立式での結盃の様子も転載しておく。何れも昭和初期のものである。一番上は昭和初期における松尾鉱山の友子同盟総会(『心に生きるふるさと 写真帳 松尾の鉱山』)、次に昭和4年の足尾銅山における取立式(『足尾に生きたひとびと』)、最後は『大正昭和期の鉱夫同職組合「友子」制度』表紙からの転記である。(引用元の詳細は過去にも記したのでここでは書名のみに止めた。)


 取立式において親分子分の固めの「結盃式」後に子分たちは友子に入ったことをが承認されたこととなる。
 取立式の具体的描写は私には出来ないので高橋揆一郎の『友子』から転記する。
「世話人のあいさつが終わって結交の儀です。婚礼の三三九度のようなものさ。取立人の人数が多いときは一部省略ということもありましたけどね。まず世話人が三人連れ立って、先頭の世話人が三宝に載せた盃を順々に手にとらせる。二番めの大が酒を注いでゆく。三番めの人は親分子分の両方にひと口ずつ飲ませて、残ったのをまぜ合わせて盃を交換してまたひと口飲ませるわけ。兄分と子分の場合も同じですかね。いや渡利は少しちがうね。兄分と子分のときは丼の酒をひと口ずつ飲んではつぎに回すやり方があってね。丼兄弟なんていいましたよ。古いころの取立式だと酒を清めるために塩を入れたともいうし、面白いのは箸の先を生魚にちょっとつけて酒の中でかき回すの。そうすれば生臭くなるでしょ、酒が。さらに塩をちょっぴり入れて辛味をつけてね。なんでそうするかちゅうと、昔の取立のときはお互いの血を飲み交したというその名残りでもあったんでしよ。人間の血は生臭くて塩味があるからね」

 取立式の後
 取立式のあと、見習い鉱夫は親分のところにいき挨拶をした。家族持ちの親分であれば家をたずね家族にも挨拶をした。この日より子分は、親分を職親とし、また実の親のように仕えなけれぱならなかった。そして取立式をともにした子分坑夫たちは、これより、取立兄弟として親密な関係をもった。また渡友子の場合は、一定の先輩坑夫と兄弟関係をもった。そして取立免状にそれを銘記した。
 取立式を受けた坑夫はその後3310日を取り立ててくれた親分へのお礼奉公として山に留まり、親方から技能伝授されることができ、また友子組織内の履行すべき義務、ルールを修得した。この年季奉公が明けて初めて「取立免状」が授けられて一人前の坑夫となり、他山を遍歴し、また職親・職兄となり後輩指導の立場に就くことが可能となった。親分・子分のこの擬制的家族関係は坑夫に種々の義務を負わせ責任を果たすことと繋がるが、それらは以前に書いた。
 3310日の意味は、『鉱夫待遇事例』(明治41年、農商務省鉱山局)によれば、次のようである。すなわち、「3年は鉱山のため、3ヶ月は親分のため、10日間は以母親のために奉公するものとする定められた習慣があるからである」。(以母親は依母親とも書く。)
 友子に加入することは「出生」あるいは「出世」、或いは「坑夫昇進」と呼ばれた。それは友子という固有の社会集団に加わることは坑夫として一生を生きることを意味し、このことから出生=新たに生まれ変わること、と捉えられる。一方、家康が作ったとされる山例53箇条において「山師金堀師を野武士と號すべし」とあるように、「野武士」の称号を家康に認許されたという坑夫たちの誇りが「出世」という言葉に表されていると考えられる。

青木葉鉱山、坑夫取立免状 (12) 取立式①

 本題に入るに先だって長々と鉱山関連の概要を(サボりながら)書いてきた。前回書いたのは昨年7月末。下書きを書いてはまとめる作業を怠り、目の前の楽なことばかりに時間を割いていた。
 以降は青木葉鉱山の実際の「坑夫取立免状」に沿って筆をすすめ、取立免状に記されている内容を解釈することに主眼を置く。
 尚、「青木葉鉱山 坑夫取立免状」の内容は(3年ほど前の)<2021523日日曜日>記載の<青木葉鉱山、坑夫取立免状 (1)>に記載している。

 取立式の共同実施
 北海道・東北の鉱山・炭鉱では,ほとんど渡友子と自友子のニ組織がそれぞれ独立して存在し、明治末年になると両組織は取立式で共同したり、事実上組織を合同したりするところが多くなった。昭和41929)年7月に発行されている青木葉鉱山の「坑夫取立免状」にもその文字の頭には「自」と「渡」が並記されており、自友子と渡友子が共同で取立式を行っており、免状末尾には「青木葉鉱山 山中友子一同」とあり、「一同」とは自坑夫と渡坑夫がまとまって山中友子を構成していると理解できる。

 取り立てられる者
 友子は、男性だけの世界であり、坑夫の親分子分の関係に基づく徒弟制度である。よって坑夫として修行する意志のある見習い坑夫が友子の審査を経て友子組織への加入承認を受けるものであった。ここでいう坑夫は主に採鉱夫・支柱夫・手子などの坑内夫を意味し、少なくも大正期・昭和初期までは坑外夫は加入していなかった。青木葉鉱山での取立も坑内夫に限られたと思われる。
 昭和期という、より広い期間に目をやれば、坑外夫の雑役夫・機械夫・精錬夫が加入している例も多く見られるという。その理由は、戦争があったことや、鉱山の統制などと関連付ければより詳しく分かることかもしれない。
 補助作業に従事する手子として3年間ほどの見習い期を経て兄分を持ち、子分に「取立」てられて友子組織に加入するための儀式が取立式である。10歳未満でも友子に加入した事例はあるが、基本的には1518歳で取立てられたようである。

 取り立てる人
 年に1回か2回開催される取立式の日取りは大当番の会議で決められ、取立式運営は世話役・中老役が選出され、彼等によって取立候補者たる見習い鉱夫を募り、資格を審査(品定め)し、親分・子分の組み合わせを作った。ここで留意しておきたいことは、親分・子分となるのは当人同士の任意ではないことである。つまり、親分といえども新たに子分を持つ場合、彼等もまた勤怠や素行、友子出生年数などが審査された。これらは親分が持つ子分の数の平準化、親分の資格維持などに寄与していたのではないかと思う。
被取立者は予め友子としての知識や躾の教育を受けて取立式に臨んだ。