2020年2月4日火曜日

横田鉱山・二本木橋(捕捉-コメントへの返信に代えて-)

コメントを戴いた。「20181210日月曜日 横田鉱山・二本木橋」に公開されている。
そのコメントへの返信に代えて少し捕捉しておきたい。従って内容はその20181210日記述を引き継いでいる。また、コメントを下さった方のブログや写真を無断で引用することは回避していますので、当事者以外の方には理解不能の部分があろうかと思う。尚、ここで二本木橋と記すのはすべて旧二本木橋を指しており、現在の新二本木橋ではない。

 「あるブログ(詳細は省く)に二本木橋と横田鉱山を関連付けて写真が載っている。二本木橋関連と、探鉱ボーリングの写真であり、後者の撮影場所はほぼ特定できたと思っている」と前に記した。その場所は概略下記写真の位置であり、矢印方向に撮影されたものである。


次に二本木橋であるが、問題とした写真が二本木橋であるとの判断に違和感を抱いた大きな理由はまずは親柱である。二本木橋は昭和299月にコンクリート永久橋として架け替えが行われ、全長80m(主径間63m)幅員6mの鋼上路2ヒンジソリッドリブアーチ橋である(出典:土木図書館デジタルアーカイブス橋梁史年表)。
 下記に載せる写真は上横田側から見た右側の親柱であり、そこには昭和299月が標示されている。この親柱は旧二本木橋が存在する間変わりなく存在していた。一方、問題とした写真の親柱は形状がこれとは全く異なっている。親柱に変更が加えられた事が立証されない限り私の違和感は払拭されない。




また、この親柱の下側の補強構造が、問題とした写真とは異なっているように見える。もしかしたら道路を舗装する際に変更が加えられたのかもしれないが、それも私にはにわかには受け容れられない。

前回に記した、「背景にある山の形状」や「稲架の位置」は写真の写り工合などに起因するものかもしれないし、強い違和感ではない。単に私の曲解、あるいは思い込みかもしれない。

 問題とした写真が“二本木橋”かもしれないという面もある。それは道路のカーブや写真の全体像、川面からたつ岩壁、などである。そして下写真にて線で囲った部分は、問題とした写真と極めて類似している。家の屋根は傾斜が異なるが、それは経年変化で建て替えたと思えることも可能である。事実、昭和30年代は養蚕も営んでいた地域なので、屋根裏の建て替えもあったと思うのはあながち間違いでもなかろう。


二本木橋と判断されている写真を見るとそれは“二本木橋”と酷似しているが、違和感はここに詳述した通りである。本ブログに関して、何かを、あるいは私の間違いをご存じの方がいらっしゃれば、どのようなことでも指摘していただきたい。