2024年2月17日土曜日

青木葉鉱山、坑夫取立免状 (12) 取立式①

 本題に入るに先だって長々と鉱山関連の概要を(サボりながら)書いてきた。前回書いたのは昨年7月末。下書きを書いてはまとめる作業を怠り、目の前の楽なことばかりに時間を割いていた。
 以降は青木葉鉱山の実際の「坑夫取立免状」に沿って筆をすすめ、取立免状に記されている内容を解釈することに主眼を置く。
 尚、「青木葉鉱山 坑夫取立免状」の内容は(3年ほど前の)<2021523日日曜日>記載の<青木葉鉱山、坑夫取立免状 (1)>に記載している。

 取立式の共同実施
 北海道・東北の鉱山・炭鉱では,ほとんど渡友子と自友子のニ組織がそれぞれ独立して存在し、明治末年になると両組織は取立式で共同したり、事実上組織を合同したりするところが多くなった。昭和41929)年7月に発行されている青木葉鉱山の「坑夫取立免状」にもその文字の頭には「自」と「渡」が並記されており、自友子と渡友子が共同で取立式を行っており、免状末尾には「青木葉鉱山 山中友子一同」とあり、「一同」とは自坑夫と渡坑夫がまとまって山中友子を構成していると理解できる。

 取り立てられる者
 友子は、男性だけの世界であり、坑夫の親分子分の関係に基づく徒弟制度である。よって坑夫として修行する意志のある見習い坑夫が友子の審査を経て友子組織への加入承認を受けるものであった。ここでいう坑夫は主に採鉱夫・支柱夫・手子などの坑内夫を意味し、少なくも大正期・昭和初期までは坑外夫は加入していなかった。青木葉鉱山での取立も坑内夫に限られたと思われる。
 昭和期という、より広い期間に目をやれば、坑外夫の雑役夫・機械夫・精錬夫が加入している例も多く見られるという。その理由は、戦争があったことや、鉱山の統制などと関連付ければより詳しく分かることかもしれない。
 補助作業に従事する手子として3年間ほどの見習い期を経て兄分を持ち、子分に「取立」てられて友子組織に加入するための儀式が取立式である。10歳未満でも友子に加入した事例はあるが、基本的には1518歳で取立てられたようである。

 取り立てる人
 年に1回か2回開催される取立式の日取りは大当番の会議で決められ、取立式運営は世話役・中老役が選出され、彼等によって取立候補者たる見習い鉱夫を募り、資格を審査(品定め)し、親分・子分の組み合わせを作った。ここで留意しておきたいことは、親分・子分となるのは当人同士の任意ではないことである。つまり、親分といえども新たに子分を持つ場合、彼等もまた勤怠や素行、友子出生年数などが審査された。これらは親分が持つ子分の数の平準化、親分の資格維持などに寄与していたのではないかと思う。
被取立者は予め友子としての知識や躾の教育を受けて取立式に臨んだ。

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