帝国鉱業開発株式会社(以下鉱発と記す)は、「重要鉱物(金鉱及砂金ヲ除ク以下之ニ同ジ)ノ資源ノ開発ヲ促進シ其ノ増産ヲ図ル為必要ナル事業ヲ営ムコトヲ目的トスル株式会社トスル<15>」ことで、昭和14年(1939)に設立された。重要鉱物の増産上必要な命令を政府は下し、その際に生じた損失は政府により保障され<16>、所得税および営業収益税、地方税は免除された<17>。重要鉱物の資源の開発と増産を図る国策に従って、鉱発は経営危機にあった宮田又鉱山を同15年に支配下においた。
開発費用獲得に悩まされることがなくなり、新鉱脈発見に努力した結果、同17年に大鉱脈が発見された。裸馬𨫤<18>と名付けられたこの大鉱床は閉山まで続いた大鉱床であり、近隣地域に労務者を募集するなど増産が図られた。年数が前後するが、同16年の秋田県の地元紙朝刊一面にこの鉱脈と思われる発見が報じられている<19>。
中小鉱山の開発を推し進める鉱発は、宮田又鉱山の開発は荒川鉱山と亀山森鉱山を合わせて行うこととし、宮田又鉱業所は昭和18年(1943)荒川鉱業所と改称された。これらの動きと関係するのであろうし、また軍事指定工場であったからであろう、逓信省より「昭和18年4月26日ヨリ左記鉱業特設電話所ヲ設置セリ/名称位置/宮田又鉱業特設電話所 秋田県仙北郡荒川村<20>」と告示がなされている。
戦時の国策にしたがって増産徹底に努める宮田又鉱山であったが、選鉱は臨時選鉱婦の労力をもたのみとする手選鉱が主体であり、昭和19年(1944)に浮遊選鉱場が設備されてようやく近代化の鉱山となった。ちなみに、荒川鉱山は大正13年(1924)に高能力の浮遊選鉱場が設備されて大規模に選鉱しており、宮田又鉱山と荒川鉱山の規模の違いをここに見ることができる。採算度外視の国策会社である鉱発の傘下でなければ設備投資は実現しなかったであろう。
花岡事件で知られているように、戦時下の鉱山には労働者不足を補うために朝鮮人が配属されている。昭和18年頃から敗戦まで宮田又鉱業所地域には100人前後の朝鮮人が徴用されていた<21>。
当時の児童たちに朝鮮人(宮田又では”半島人”が通称であった)の記憶が残されている。朝鮮人は道路工事をし、ガソリンカーが運休になる冬期は叺にいれたどろどろの鉱石を背負って境まで下り、帰りは鉱山で使用する資材を背負っていた。朝鮮人は朝鮮人と言われるとばかにするなと怒り、子ども同士の話しの中でも朝鮮人というのは禁句になっていた。子どもたちは、朝鮮から来た人が日本人に痛めつけられてかわいそうだったという話しは何回となく聞かされていたという<22>。
昭和20年(1945)、敗戦が決定した直後8月17日の軍需省鉱山局からの緊急示達は、地下資源の開発はこれまで通り行うこととしながらも、戦時下の要請で生産を強行した非能率の鉱山は操業を停止させること、というものであった。鉱発は11月に事業所整理方針を決定し、11の鉱山を敗戦後も継続させることとした<23>。この中には荒川鉱山と改称した宮田又鉱山が含まれていた。
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<15> 「帝国鉱業開発株式会社法」(昭和14年・4・12法律第82号)第1条。
<16> 註15第24条。
「政府ハ帝国鉱業開発株式会社ノ業務ニ関シ監督上又ハ重要鉱物ノ増産上必要ナル命令ヲ為スコトコトヲ得前項ノ規定ニ依リ重要鉱物ノ増産上必要ナル命令ヲ為シタルトキハ政府ハ勅令ノ定ムル所ニ依リ之ニ因リ生ジタル損失ヲ補償ス〔後略〕」
<17> 註15第31条。
「帝国鉱業開発株式会社ニハ命令ノ定ムル所ニ依リ開業ノ年及其ノ翌年ヨリ十年間其ノ事業ニ付所得税及営業収益税ヲ免除ス」、同第32条「北海道、府県及市町村其ノ他之ニ準ズベキモノハ前条ノ規定ニ依リ所得税及営業収益税ヲ免除セラレタル期間帝国鉱業開発株式会社ノ事業ニ対シ地方税ヲ課スルコトヲ得ズ〔後略〕」
<18> 「𨫤」(ひ)は鉱脈のこと。鉱脈には一般的にこの用語を用い、𨫤の頭に固有名詞をつける。
<19> 「帝国鉱業開発会社の経営になる本県仙北郡の宮田又鉱山に新鉱脈が発見された、この宮田又鉱山は事業成績思はしくなく荒川鉱山の如き末路を辿るに忍びず一昨年帝国鉱業に身売りしたもので〔中略〕所長〔中略〕以下の所員が一縷の望みを掛けて探鉱してゐたが〔中略〕銅の含有量が20パーセントという素晴らしい鉱脈が凝灰岩と頁岩の間に入つて発見された〔中略〕秋田鉱山専門学校助教授は〔中略〕語る/更に50尺掘り下げておりますが鉱質は殷賑を極めた荒川鉱山同様で実に素晴らしいものです〔後略〕 」
「新銅鉱脈を発見 宮田又に凱歌」『秋田魁新報』昭和16年(1942)8月11日・朝刊:1頁3-6段。
探鉱調査が継続されていることから、記事にある新鉱脈は裸馬𨫤であると思われる。但し、20パーセントの含有量はありえず2パーセントの間違いであろう。
<20> 「逓信省告示第564号」(官報 第1896号)
<21> 野添憲治『秋田県における朝鮮人強制連行』(社会評論社、2008年)32-34頁。
<22> 註2『宮田又鉱山思い出文集〝鉱山桜〟』 12-13頁、20頁。
<23> 帝国鉱業開発株式会社『帝国鉱業開発株式会社社史』(金子出版、1970年)313-315頁。
このときの11鉱山は次の通りである。
余市、玉川、銭亀沢、野田玉川、不老倉、荒川、川尻、高旭、釜ノ沢、天生、大口。
なお、ここで書かれている、天生(An)、大口(An)は、正しくは天生(Au)、大口(Au)である。
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