2016年7月14日木曜日

日本の鉱山の概要⑭ - 再び鉱山とは

国内の金属鉱山は敗戦後の一時期に立ち直りをみせたものの、昭和30年前後から同48年頃までの高度成長期の中で斜陽化し衰退を続けた。鉱山労働者は鉱山での職を失うのであるが、高度成長の中で他の職種への転換が比較的容易にできた。鉱山は山間部に位置するのでこの職種転換は山間部から都市部への移動も伴うことになる。また、鉱山という名で括られる価値に集約された空間(山)から多種多様の生活が混じり合う開かれた空間(都会)への生活様式の変化ともなる。その変化に適応するにはかなりの努力を要したと思われる。また、都会人から見る田舎者という視線、さらに加えて馴染みのない鉱山生活経験者へ向けられる偏見めいた感情もあったようである。

私が東京の私大に入学したとき、同じクラスの生まれも育ちも東京・荻窪である友人に、オレの父親は鉱山で働いていると言ったら、鉱山を経営しているのかと聞き返された。鉱石を採取している奥会津の小さな鉱山の普通のサラリーマンだと説明したらその友人は意外な表情をしていた。戸惑っているような彼の表情はいまも記憶に残っている。それは、鉱山という全体像をイメージできず、また私大に通わせる経済力は山奥の会社員には備わっていない筈だという漠然とした思いであったようだ。

鉱山への一般的イメージを考えてみる。ただし、鉱山都市といわれるような大規模な鉱山ではなく、文献調査および実体験に基づく小規模な(あるいは狭い空間に閉ざされた)昭和後期の鉱山を前提しとしている。
①余所者、異質な空間
鉱山は突然に何もなかった地に現れ、その地と無関係なところから移住してくる人びとが、一定の区域を占有する。そしていつかは消えてしまう。何代も前からその地に暮らして生活習慣や文化を築いてきた人びとからみれば、それまで見たことのない社宅・長屋に、よその土地から、異なる文化を身にまとった人たちが集団で来るのである。物珍しさとともに、異質な世界・生活を見るというのが近現代の鉱山に対する農村の人びとの実際であろう。
②異質な生産活動
鉱山は山間部に発生する。山間部の主要生産活動は農業である。地表に種を蒔き日の光と水と土によって生産される植物を収穫し、それを繰り返す。農産物は直接的に人びとの生活の糧となる。鉱山での生産は、地中に眠る鉱物を地下にもぐって採り、よその地に送り、働く人々は賃金を得る。つまり、生産手段は目に見えない地下にあり、選鉱所から出される収穫物は無機的な鉱物であり、生活へ直接的に結びつくことはなく、人々の生活基盤は賃金を介して商品を購入することにある。鉱山の生産生活は自給的側面もある農村とは全くかけ離れている。
③一般的な負のイメージ
異質な世界に営まれる鉱山生活は過酷な抗内労働によって語られることが多く、負のイメージを伴う。すなわち、鉱山労働とは鉱石採掘の労働であり、特別に高度な知識は必要とせず、筋肉労働に堪えうる体力があればよいとするイメージである。そこには、無宿人や囚人による佐渡金山の抗内水替労働、炭砿における囚徒使役のたこ部屋、朝鮮人連行による強制労働、飯場・納屋などの暗いイメージが重なっている。近世から現在まで、鉱山生活を表現する言葉は多くの著作物に載せられてきた。山師・渡り坑夫・気絶え・よろけ・珪肺などなどである。いずれも異端および負のイメージに繋がる言葉である。特に珪肺は鉱山固有の病であり、近世では「よろけ」「煙病」「煙食病」とも呼ばれ、鉱山閉山後も、坑内労働者にとっては死と直結するものであった。近年テレビで放映された久根鉱山労働者の記録は、かつての鉱山の悲惨さを知らしめるものである。鉱山は負の側面から描かれることが多い(多すぎる)。
④一時の恩恵と裏切り
鉱山はよその地から多くの人びとが移住するが、高度な技術を要しない労働は地元に求めることが多い(隣接する農村とは隔絶していた鉱山もあった)。現金収入に繋がる労働の場を農村に提供し、その地の人びとの商品経済参画が加速する。商品流通が進めば現金収入を多く求め、ひいては商品産業を望むこととなる。鉱山の操業は農村に大きな期待を膨らませ、新しい生活へと転換させる契機となる。しかし、採鉱される鉱物には限りがあるし、また資源があっても採算性の縛りがあり、いつかは終末を迎えることとなる。また、採鉱に伴う硑(ずり)やスライムは自然の中に廃棄し、場合によっては鉱害へと繋がり、鉱害は農業生産の妨げとなる。鉱山が廃山に近づくと地元の期待は急速に萎み、鉱害があると反発は大きくなり、閉山は落胆あるいは恨みへと繋がる。初期の期待が大きければ大きいほど落胆の度合いが深くなるのは世の摂理である。

結論から言えば(少々僻みっぽいかもしれないが)、鉱山という空間あるいはそこでの生活者へのイメージはポジティブなものではない。鉱山という括りは、農業、漁業、工場勤務、商店経営、医者、公務員、等々に抱かれるイメージとは一線を画する、「何かよく判らない」「とらえどころのない」「一過性」のものと思われている、と私は捉えている。
鉱山労働を蓋っているイメージをまとめると、鉱山労働=坑内での採鉱労働であり、それは暗い地中での、重筋肉労働で低知識の単純労働であり、そこに「佐渡の金山この世の地獄」のようなイメージが重なる短絡的なダークでネガティブなものではなかろうか。

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