2016年7月24日日曜日

宮田又鉱山① - はじめに

私が秋田市将軍野で生まれた頃は貧乏生活であり、その後父は失対事業の仕事から脱けて宮田又鉱山の工作係に職を得た。戦後になって鉱山復興が活発化し、多くの人たちが鉱山に職を得たなかの家族の一つであった。貧乏生活は続いたが、鉱山生活の中では多くの家族が似たような境遇であり、日々の生活を嘆くことはなく、逆に謳歌していたようでもある。

その宮田又鉱山の歴史について最も詳しいのは、秋田県協和町(現大仙市)の郷土史家、進藤孝一が著した『宮田又鉱山誌』である。進藤はほかにも宮田又鉱山に関する執筆があり、それらには小さな修正が認められるものの、内容的はすべて『宮田又鉱山誌』に繋がっている<1>
このブログにおいて新しいことはほとんど何も描けない。ただただ個人的関心のもとで、この鉱山誌を一度分解し、そこに『宮田又思い出文集〝鉱山桜〟』(以下、『鉱山桜』)<2>やほかの文献・資料を参照し、戦後の鉱山生活に視座をおいて『宮田又鉱山史』を再構築してみたいと思っている。
タイトルは“宮田又鉱山〇-XXXX”とし、註記や図表には通し番号を付ける。

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<1> 進藤孝一『宮田又鉱山誌』(協和町公民館、1980年)。
進藤孝一『協和町の鉱山』(秋田文化出版社、1994年)。         
協和町史編纂委員会『協和町史』下巻(協和町、2002年)。
協和町には宮田又鉱山以外に荒川鉱山やその他幾つかの鉱山が稼行していた。進藤の郷土史研究がなければ宮田又鉱山のみならず、協和町の鉱山全体の歴史は明らかにならなかったといえる。
民俗資料展示館である大仙市大盛館を2014年に訪れたとき、進藤氏は入院中であると聞き、会って話を聞くことは叶わなかった。
<2> 協和の鉱山と松田解子文学を伝える会・宮田又会『宮田又鉱山思い出文集〝鉱山桜〟』協和の鉱山と松田解子文学を伝える会・宮田又会、2013年。“鉱山桜”には“やまざくら”とルビが付されている。

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