宮田又鉱山の略図を図M-4に示す。この図は今後も何度か参照する。図M-4をずっと空高くから俯瞰すると図M-5の地図に描かれるようになる。
宮田又鉱山地域と繋がる地域は、西側にほぼ平地で繋がる徳瀬集落と、南側に約90mの高低差の山越えとなる荒川鉱山集落であった。徳瀬集落は戸数が十戸前後の集落であり、宮田又社宅域までは約2.5kmある。荒川鉱山集落は昭和初期まで日本の銅鉱産を支えた銅山の集落であり、宮田又鉱山から荒川鉱山に行き来するには山を越えなければならず、2km強の徒歩のみの山道である。
宮田又鉱山が位置する地域は国有林の場所であり、大正4年(1915)に、羽後境から宮田又沢沿いに大曲営林署の森林軌道が敷設された(既掲の図M-3参照)。宮田又鉱山が本格的に操業されたときは選鉱所付近までの支線も増設され、宮田又鉱山と羽後境を結ぶ重要な交通となった。羽後境から居住域まで約11km、選鉱所までは約12kmであり、軌道車-ガソリンカーと称した-での所要時間は約60分であった。
宮田又に近い都市は秋田市と大曲市(現大仙市)であり、奥羽本線で繋がる秋田駅・大曲駅のほぼ中間に位置する羽後境駅から秋田駅までは路線上約27kmであり、昭和40年(1965)10月1日現在の時刻表<10>によれば、1日12本の普通列車と1本の急行列車が運行しており、所要時間は急行で29分、普通列車で35分~58分。同じく大曲駅には約25kmで、1日に普通列車が12本運行し所要時間は30~52分であった。従って旧大曲市や秋田市にでかけるときは、森林軌道を利用して社宅から羽後境に出て、そこから奥羽本線の列車に乗ることとなる。しかし、冬期になると森林軌道は運休<11>するので、羽後境駅までの交通手段は徒歩のみとなる。
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<10> 「奥羽本線汽車時刻表(40・10・1現在)」『広報きょうわ』(協和村役場)第89号昭和40年(1965)10月15日:4頁 http://daisen.in.arena.ne.jp/daisen/koho/M/ky/kyowa0089-0004.jpg。
<11>
「協和村の奥地」にある宮田又鉱山は雪のために出荷できず、昭和38年(1963)には約1ヶ月にわたって出荷ができなかった。
「銅鉱出荷で活気づく/雪で不通だった宮田又鉱」『秋田魁新報』昭和38年(1963)2月20日・朝刊:6頁3-6段。
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