2016年7月22日金曜日

日鉱記念館、高取鉱山①

716()の朝、同窓会の解散の前にKT(“20160709 日本の鉱山の概要⑨ - 鉱山集落・社宅”の註記<4>。)と短時間だが話をした。彼は、「八総鉱山は住友金属鉱山だったから閉山したときは別子に移った人も多かった、だから別子を訪れてみようかと思っている。もしかしたら知っている人がいるかもしれない。また、石見銀山にも行ってみたい」と言っていた。鉱山社宅で暮らした人間は鉱山そのものに郷愁を感じ、また、誰か鉱山生活者と繋がりを持ちたい、話をしたい、もっと簡単に言えば、オレも鉱山にいたんだよと共通の場に身をおきたいと思っている(と思う)。かつて暮らしたことのある鉱山が廃墟、あるいは全く姿を消してしまえば余計にそう思うであろう。KTには別子に行ったら必ず東平(とうなる)に行けよ、と言ったが、それは言わずもがなのことであった。機会を作って私も東平や石見には行ってみたいが、東平が「東洋のマチュピチュ」と宣伝され、石見銀山が「石見銀山世界遺産センター」と喧伝されることには引っかかりを感じてしまう。それは鉱山という空気が流れる円管の入口にオリフィスプレートが設けられているような思いである(機械工学的表現すぎるかな)。

 この日訪れようとしていたのは第一に日鉱記念館。それ以外に候補にあげていたのは栃原金山と高取鉱山で、距離は離れるが足尾銅山もリストに載せていた。構想時点ではあっちもこっちもとなるが、いざ当日となると早く家に帰りたいとの怠け癖がでてしまう。前日、車で大子町(袋田の滝)に向かっていたときにチラリと見えた栃原金山の案内看板が記憶にあって同じ道を走るのは嫌になり、また足尾は遠すぎるので止めにし、春日部までの自宅帰還ルートを考慮して日鉱記念館と高取鉱山だけに寄ることとした。

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