7月16日(土)の朝、同窓会の解散の前にKT(“20160709
日本の鉱山の概要⑨ - 鉱山集落・社宅”の註記<4>。)と短時間だが話をした。彼は、「八総鉱山は住友金属鉱山だったから閉山したときは別子に移った人も多かった、だから別子を訪れてみようかと思っている。もしかしたら知っている人がいるかもしれない。また、石見銀山にも行ってみたい」と言っていた。鉱山社宅で暮らした人間は鉱山そのものに郷愁を感じ、また、誰か鉱山生活者と繋がりを持ちたい、話をしたい、もっと簡単に言えば、オレも鉱山にいたんだよと共通の場に身をおきたいと思っている(と思う)。かつて暮らしたことのある鉱山が廃墟、あるいは全く姿を消してしまえば余計にそう思うであろう。KTには別子に行ったら必ず東平(とうなる)に行けよ、と言ったが、それは言わずもがなのことであった。機会を作って私も東平や石見には行ってみたいが、東平が「東洋のマチュピチュ」と宣伝され、石見銀山が「石見銀山世界遺産センター」と喧伝されることには引っかかりを感じてしまう。それは鉱山という空気が流れる円管の入口にオリフィスプレートが設けられているような思いである(機械工学的表現すぎるかな)。
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