2016年7月7日木曜日

日本の鉱山の概要⑦ - 鉱山で働くと言うこと(2)

生産工程
採鉱から精鉱として出荷されるまでの生産工程を大雑把に記すと、採鉱-運搬-篩分-破砕-磨鉱(微細粉末化)-分級-浮遊選鉱-濃縮・濾過(銅系)/精鉱バック(硫化系)-銅精鉱/硫化精鉱となる(1)。出荷された精鉱は製錬所まで運ばれて製錬(精錬)され純度が高められる。
鉱石の品位は13.5%程度(2)であるから、多くは廃石となって棄てられる。価値のない岩石は棄てられて硑(ずり)となり、浮遊選鉱後の有害物質も含まれることの多い泥状のものはスライムとして貯蔵される。鉱山にはつきものであり、閉山後も鉱山跡として長期間残る。

鉱山の労働体制と鉱員(3)
鉱山の職制は事務と鉱務に大別される。鉱務には探査(探鉱)・採鉱・選鉱・工作・分析などがある。鉱務に就く者は鉱員であり、役付鉱員(職長など)と一般鉱員に分類できる。一般鉱員は坑内労働に従事する坑内夫と坑外労働の坑外夫からなる。坑内夫をさらに分けると、鑿岩夫(鑿岩機を使用)・坑夫(手堀り)・支柱夫・運搬夫・機械夫・保線夫・雑夫などがある。坑外夫には選鉱夫・機械夫・鍛冶夫・電気夫・工作夫・輸送夫・分析夫・用度夫・雑夫などがある。これらには浴場の管理者、日常生活品を購買販売する担当する者、製材所を担当する者なども含まれる。
鉱山は鉱石を掘り出すことではじまり、鉱山労働といえば一般的には坑内労働のみに視点が向けられることが多いのであるが、鉱山事業は坑内外の多様な労働によって営まれたのである。坑内に対して郊外を「岡」とも言う(4)

坑夫、鉱夫
広辞苑(第6版)では、坑夫は「鉱山・炭山の採掘作業に従う労働者」で鉱夫を「鉱山で鉱石採掘に従事する労働者」としているが、鉱山労働者を坑夫や鉱夫と総称することがあるのでこれは必ずしも正しいとはいえない。また、坑夫・鉱夫は発音が同じであるために混同することが多い。一般的には、鉱夫は鉱山労働者一般を指し(5)、金属鉱山においての坑夫はもともと採鉱夫あるいは開抗夫を指す言葉であった(6)
坑内で働いても雑役夫や運搬夫は坑夫ではなかった。坑内労働に就く者は一般的に雑役夫からはじめ、次に運搬夫(負い夫)となり、運搬夫を経験して空きがあれば採鉱夫になることができた。運搬夫を雑夫とする鉱山もあった。採鉱夫でも最初は手掘り坑夫そして鑿岩夫(鑿岩機夫)となる鉱山もあった。地位、すなわち賃金は雑役夫<運搬夫<(手堀り)坑夫<鑿岩夫となる。さらにその上は支柱夫であった。支柱夫は坑道を支えるために「支柱夫は神」と一目置かれた。支柱夫より鑿岩夫の賃金が高いところもあった(7)ので、一様に支柱夫が一番上位にあるとは言えないようである。

坑内労働の環境
戦後の坑内労働経験者を対象とした調査から坑内の印象を引用すると、「暗い、落盤しないか、圧迫感、非常に危険、暑い、特有の臭い、湿度が高い、空気が悪い、明かりにでた喜び、全裸で歩く、局所まる出し、褌一枚の異様さ、抗内の淋しさ、特別な世界などである」(8)。戦後の苦しい時代に仕事を求め、高収入であるがためにこの劣悪環境の坑内労働に就く者も多かったのである。また、戦前は強制連行された朝鮮人も各所鉱山に多くいたのであるが、敗戦とともに彼らは鉱山を離れ、必然的に鉱山は労働力不足となったため、坑内労働に就くことは比較的容易であった。古い時代の採鉱は鉱脈に沿って地中深く掘っていく「犬下り」や「狸堀り」があり、死と隣り合わせであった。地中深く掘っていけば水が出るため汲み上げ必要になる。それは例えば現在観光地となっている「史跡佐渡金山」にて模型を使った展示などに示されている。また、熱水がでる鉱山もあり、深く掘れば掘るほどに環境は劣悪化する。前述の戦後の坑内労働者は「人間のすることではない、終生の仕事ではない」などとの否定的感情を吐露している。一般的には炭砿の劣悪な労働環境が金属鉱山の労働と重なり、鉱山のイメージは実際以上に貶められていると考える (9)

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(1)   昭和28年の宮田又鉱山における工程を簡略的に記した。進藤孝一『宮田又鉱山誌』(協和町公民館、1980年)31頁。
(2)   品位は鉱石に含まれる金属量の重量%で示される。3.5%はかなりの高品位である。金の場合はトンあたりのグラム数で示される。
(3)   次の文献を参考とした。前掲『宮田又鉱山誌』、鷲尾義雄『横田の思い出』(私家版、1996年)。
(4)   萩慎一郎『近世鉱山をささえた人びと』(山川出版社、2012年)51頁。鉱山は坑内で採鉱することが中核であり、この場合の「岡」は小高い場所の意味ではなく、岡目八目の「岡」と同様に局外者、第三者の意に近いと私は解釈している。
(5) 原田洋一郎「鉱山とその周辺における地域変容」(竹田和夫編『歴史のなかの金・銀・銅』​​勉​誠​出​版、2013年)150頁注13
(6)   同、141
(7)   昭和30年初期の宮田又鉱山の日給は鑿岩夫が700800円で、運搬夫は400500円、支柱夫は500600円であった。鈴木啓悦ほか編『宮田又鉱山思い出文集 鉱山桜』(宮田又会、2013年)84頁。
(8)   松本通晴「鉱山労働者の生活史」(庶民生活史研究会編『同時代人の生活史』未来社、1989年)202頁。
(9)   金属鉱山の労働は炭砿のそれよりはましであった。天川晃ほか編『GHQ日本占領史 第44巻 不燃鉱業の復興』(日本図書センター、1998年)81頁に次の記述がある。すなわち、「降伏前、日本の金属および非金属鉱山の労働者は悲惨な状態にあった。その職務は炭坑夫ほど危険ではなかったものの、組合幹部の封建的家来や既得権益とほとんど変わりなかった」。

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