日本の鉱山史研究は近世を中心し、あわせて、大規模の鉱山を対象とする傾向がある。史料の有無、近代化による大企業経営、小規模鉱山の埋没、鉱山遺跡の有無、等々の理由は挙げられるが、端的に言えば戦後を活動の中心とする小規模鉱山に目が向けられることは稀である。
近世中心の鉱山史研究
記録上は1350年ほどの歴史をもつ日本の鉱山において、小葉田淳の研究は極めて重要である。『鉱山の歴史』(1)で古代・中世から近世の鉱業の歴史を論じ、続けて昭和43年に『日本鉱山史の研究』(2)を公刊した。この研究は学士院賞授賞となり、鉱山史研究上画期的なもので、日本の鉱山史研究には必ずといっていいほど参考文献に上げられている。小葉田は、「明治以前の鉱山史も日本の産業史において極めて重要な地位を占めていると思われるに拘らず、これほど研究の遅れた分野は他に類が稀である。そして調査の手が及ばぬ間に、史料なども刻々に失われつゝあるのである」(『鉱山の歴史』はしがき)として、地方に散在する古い鉱山を歴訪し、多数の鉱山の歴史を個別的に研究し、鉱山史の体系化を意図した。しかし、明治以後の鉱山に対しては「私どもの容易に近づき難い技術史のなどの面を持っており、こゝでは触れない」として研究対象から除外している。
小葉田の研究から時が下った平成8年(1996)、国立科学博物館にて特別企画展「日本の鉱山文化」が開催された。副題に「絵図が語る暮らしと技術」とあった、ここでは江戸時代の鉱山文化を展示するものであった(3)。『鉱山文化』の言葉に惹かれてテキストを購入したが、タイトルが『日本の近世における鉱山文化』とあれば購入に躊躇したかもしれない。
鉱山技術の発展と共に繁栄した金属鉱山は、日本の近代産業を支えた時代もあったのであるが、産業史、技術史の側面からの歴史研究もまた明治前期までの論述に限られている(4)。
平成25年(2013)から同28年にかけて『岩波講座 日本歴史』全22巻が発刊され、鉱山に関する論文が掲載されている(5)。全巻の中で、鉱山に関してまとまった形で掲載されているのはこの論文だけである。かくも近世における鉱山の位置づけは高かったのであるが、逆に言えば、鉱山史研究は近世中心となっていることでもある。それは明治期以降の鉱山は大資本に吸収され、現在は鉱山が消滅し、鉱山を見る歴史的視点は近世に据えるしか選択肢がないことでもあろう。
鉱山集落の研究に大きな貢献をした川崎茂は、小葉田の一連の研究に負うところが大きいと述べている一方、鉱山の歴史的研究の分野では「明治後の鉱山史研究には大きな空白が見いだせる」と問題点を指摘している(6)。
1941(昭和16)年以降、鉱山を営む企業から社史が編まれるようになってきた。日本が戦争を拡大し、国策の下で鉱山が活況を呈した時期である-戦後の鉱山荒廃の原因ともなった-。明治以降の鉱山史はこれらの社史に見ることができる。しかし、社史は、社業の確立・安定に力点を置き、鉱山生活者に直結する労働問題には積極的な姿勢をみせず、地域社会との関係はほとんど扱われていないと分析されている(7)。
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(1) 小葉田淳『鉱山の歴史』(至文堂、1956年)。
(2) 小葉田淳『日本鉱山史の研究』(岩波書店、1968年)。
(3) 科学博物館後援会『日本の鉱山文化』(国立科学博物館、1996年)。
(4) たとえば以下の文献。
佐々木潤之助「銅山の経営と技術」(永原慶二ほか編『講座・日本技術の社会史 第五巻 採鉱と冶金』日本評論社、1983年)。
山口啓二「金銀山の技術と社会」(同)。
荻慎一郎「鉱山」(中岡哲郎ほか編『新体系日本史11産業技術史』山川出版社、2001年)。
(5) 荻慎一郎「鉱業」(大津透ほか編『岩波講座 日本歴史 第13巻近世4』岩波書店、2015年)186-208頁「近世の漁業・塩業・鉱業 第3章 鉱業」。
(6) 川崎茂『日本の鉱山集落(大明堂、1973年)18頁、22頁。
(7) 荻野喜弘「鉱業会社社史についての一考察」(経営史学会『経営史学』第26巻第3号、1991年) https://www.jstage.jst.go.jp/article/bhsj1966/26/3/26_3_30/_pdf)。