鉱山神社
前項で述べたように、鉱山労働(特に坑内労働)は危険で、また不治の病ともなる珪肺への罹患も多かった。それだけが理由ではあるまいが、鉱山が開かれると山(やま)神社が建立される。古くは山中に社寺があればそこには必ず鉱山があると言われた。山神社の御神体は高品位な鉱石であるところもあり、自然石のところもあった。山神社は鉱山地域のシンボルであり、社宅から抗口に向かうときは山神社に一礼した。正月は山神社へ参拝し、山神祭(さんじんさい)では近隣の鉱山外集落からも人が集まり、鉱山の祭礼日でもっとも賑やかな日であった。山の守護神は大山祇神(オオヤマツミノカミ)、大山姫神(オオヤマヒメノカミ)であり、総本社は愛媛県大三島の大山祇神社である。製錬の神は金山昆古神(カナヤマヒコノカミ)、金山昆売神(カナヤマヒメノカミ)であり、総元締めは岐阜県南宮大社とされている。
坑内への入口、すなわち抗口の抗木にも神を祀った。抗口より入って左側1本目の抗木は天照大神宮、2本目は八幡大明神、3本目は稲荷大明神を表し、右側1本目は春日大明神、2本目は山神宮、3本目は不動明王であり、3本目までにかかっている天井板12枚は薬師如来、両側の36枚は天の三十六童子を表すとされた。抗口より3本目以内に大小便の不浄をすることは厳禁とされたが、それは不敬を憚る意味でもある。坑内で怪我人や死亡者を出したときは抗口より3本目までの坑木を新しい菰で巻き、掛かっている掛札や御幣を取りはずした後に運び出す。そのときは誰か先頭に立ち鎚とタガネの頭を叩きながら出なければならぬとされていた。<1>
禁忌<2>
坑内の落盤や出水などの災害はいつ起きるか判らない。相手は自然現象でもあり自らの注意だけで防ぎきれるものではない。だからこそ坑内夫たちは不吉な予兆を嫌い、禁忌を犯すことを厳しく禁じた。夢見が悪い、鶏が鳴いたといって気に病み、鶏の鳴き方がいつもと違う、犬の遠吠えにも神経質になり、何か今日はおかしい、といっては不機嫌になり抗口に向かう途中で引き返す。「サル」という言葉は大山衹神が嫌がるから口に出さない。椿やびわの木を使わない<3>。「穴」と言わない、不吉な話をしない。出がけに家庭内で口論をする、不機嫌な顔を見せられる、茶碗が割れると仕事に就かない。茶碗にひびがはいればそれで飯を食うことを嫌って割ってしまう。箸が折れる、紐が切れる、歯が抜ける、ものが倒れる、弁当箱が転がることも嫌った。弁当の中に肉はいいが魚類はだめで<4>、梅干しを入れてもその種を坑内には放らずに持ち帰った。針は「身を刺す」に繋がるので、朝の出がけに針を使わない。漬け物の三切れは身を切る、見切る(帰らない/来るな)に繋がるので忌嫌われた。坑内は生土に入るので生味噌は食わない。飯茶碗に味噌汁や茶をかけて食べると山崩れになって縁起が悪いので、仲間がそれをやると入坑しない鉱夫は多かった<5>。
坑内では口笛は厳禁であった。坑道では山の神が天井を支えているので、口笛を吹いたり手を叩いたりすると山の神が喜んでしまい、天井を支えている手が弛み落盤や陥没の事故が起こるからとされた。これの真意は坑内では浮かれ気分ではなく気を引き締めて働くことの重要さを教えるものである。また、坑内の守護神は髪が縮れ毛なので女坑夫が坑内で髪を洗うと神さまが妬むので禁止された。これとても気の弛みを戒めるものであろうし、坑道を水で流すような真似をしてはいけないということであろう。手拭いで頬かぶりする者と仕事をすると事故に遭うとされた。頬かぶりすると落盤の前触れである風圧や岩盤の軋みを感じ取れないからである。草履の紐を短く切って入坑することも戒められ、紐は足にぐるぐる巻きつけておかねばならなかったという。陥没があったときに草履を囓って飢えをしのぎ、命をながらえられたという古事に由来する。入坑する前に釜の灰で顔をなでておくと運がつくとされた。
坑内で死者が出て抗口まで運び出すときには、死者の魂が迷わないように坑道の分かれ目にさしかかる度に鑿と鑿を叩き、そこを通過したことを知らせる習慣があり、そのため、坑内でせっとう(ハンマー)を打ち合わせない、金属と金属の空打ちも厳禁となれていた。家庭に不幸や出産があると一週間の入坑を慎み、抗内で出産すると一人仲間が増えた、抗内の埋蔵量が増えたと喜び、12~3歳の女子が落盤などで亡くなると、仕事を休んで遠くから葬儀に参列して供養した。それは「穢れない」「陰部に毛がない」が「怪我ない」に通ずるからであった。
―――――――――――――――――――――――――――――――――――――――
<1> 「坑内への入口、すなわち抗口の抗木にも神を・・・・・タガネの頭を叩きながら出なければならぬとされていた」は、松島静雄『友子の社会学的考察』(御茶の水書房、1978年)42頁より引用している。
<2> 禁忌については以下を参照した。
佐藤一男『ふくしまの鉱山』(歴史春秋社、年)158-161頁。
斎藤實則『鉱山と鉱山集落 -秋田県の鉱山と集落の栄枯盛衰-』(大明堂、1980年)36-37頁。
高田源蔵『鉱夫の仕事』(無明舎、1990年)84頁。
トリヨーコム編『松尾の鉱山(復刻版)』(八幡平市教育委員会事務局、2012年)72頁。
高橋勤『鉱山はかげろうの如く』(岩手日報社、1991年)77-78頁。
松本通晴「鉱山労働者の生活史」(庶民生活史研究会編『同時代人の生活史』未来社、1989年)200-201頁、216-217頁。
鷲山義雄『田代の思いで』(私家版、1997年)4頁。
<3> 椿は首が落ちる。びわの木はよく茂るので家を暗くしてしまい病人が出る、あるいはびわは薬効性を有しているので病人がそれを求めて訪れてくるのでいつも病人がいる家となってしまう、そのようなものであるらしい。
<4> 私には納得する理由が分かっていない。山神は女性であって美しい生き物に嫉妬を抱き醜い生き物を好む。だから姿の醜いオコゼは神が好む、オコゼは魚、ひいては魚は神の食べ物だから坑夫の弁当には相応しくないと言う説もあるらしいが、真偽の程は分からない。単に骨が出る、骨を残すということに縁起を担いでいるのかもしれない。個人的には骨説(?)を採りたい。
<5> 単に山崩れに繋がるということだけではなく、真意は味噌汁をかけて飯を食べるような不摂生な者とは危険な仕事を共にしたくないということである。
0 件のコメント:
コメントを投稿