はじまり
人類の歴史において、科学技術発展の中心にあったのは鉱業であった。日本の鉱業は7世紀後半の天武天皇期に対馬の産銀から始まり、8世紀初期の元明天皇期には秩父で自然銅を産し、8世紀半ばには陸奥にて初めての砂金発見があった。朝廷は金・銀・銅・鉛・水銀などの鉱業権は中央政府が優先権を有し、諸国へは国への貢献を強く要求した。記録的には、日本の金属鉱業発達はここから始まっている。
中世から近世
16世紀中期から17世紀前期の近世封建制度完成期に、採鉱技術や製錬技術が発達し、鉱山は発展期を迎えた。この頃、世界の1/3の銀は日本で産出されていた。17世紀後半に銀生産が滞り始めると、中世期以来の輸出品であった銅の輸出がそれに代わり、日本は世界でも有数の銅輸出国となった。銅は長崎にてオランダや中国向けに銅屋(銅貿易業者)によって行われており、輸出高の増加に伴って幕府は大阪に銅座を開設して棹銅(1)を調達し、長崎に送って輸出していた。ちなみに、18世紀後半、イギリスからは「ジャパン・カッパー」の名でアジア市場に販売されていた(2)。 17世紀後半から18世紀前半まで日本は世界第1位の銅生産国で、やがて18世紀中頃に世界第2位(1位はイギリス)、19世紀にはチリが第2位となり日本は3位となったが、ともかくも日本は世界でも有数の銅生産国であり、銅は日本の鉱山の中核であった。20世紀に至るまで銅は日本の重要な輸出品であった。
国内の著名な鉱山の多くは、17世紀後半までに大体の開発を行っており、著名な足尾銅山は1610(慶長15)年に開抗し、尾去沢は1666(寛文6)年に銅の採掘が始まり、別子銅山は1690(元禄3)年から採掘が開始されている(3)。
江戸期の非鉄金属鉱山数は推計で1000を超えていた(4)。大宝律令(701年制定)以来の慣習として鉱業権は中央政府、即ち幕府や地方の藩主が握っており、江戸幕府は各地の大名に鉱業を奨励した。その結果、長年にわたる乱掘により採鉱はだんだんと深くなり、湧水の障害によって抗道が水没し、それに対応する技術がなく採鉱が不可能な鉱山が多くなり、江戸末期には日本の鉱山は著しく衰微してしまった。
明治から昭和前期
明治期に入って政府は英米仏独より鉱山技師・土木技師・地質学者・大学教授・坑夫等を招き技術革新に邁進し、鉱山技術の近代化、経営合理化などが進み近代化が推進された。江戸末期に衰退していた鉱山は蘇生し、生産効率は増大した。この後主要鉱山の払下げで日本の鉱山は大資本のもとで展開することになった。住友・三井・三菱・古河・藤田(後の同和鉱業)・久原(日立鉱山を中核とし後の日本鉱業)の六大資本である。鉱山はこれら財閥の財政基盤となって繁栄期を迎えた。
昭和2年(1927)の恐慌で中小企業はこれら大資本に吸収され、産銅業界は住友・三菱・古河・藤田・久原に集約され、全体の95%の生産を占めるに至った(5)。
太平洋戦争時、鉱業界はすべて政府の強力な統制下にあり、採算度外視の無計画な採鉱が行われ、その結果設備の老朽化などで戦後の鉱山復興に大きい障碍となった。
昭和後期から現代まで
終戦後の朝鮮特需によって、鉱山は一時期復興の波に乗り、銅・鉛・亜鉛鉱山として日本で開発されたものは2000以上あり、昭和30年前半時点で稼行中および開発可能のものは500~1000はあるとされていた(6)。また、全非鉄金属鉱山の従業員は、昭和18年には坑内外で17万2千人おり、昭和28年には同6万7千人程度存在していた(7)。地金輸入自由化や円高によって国際的価格競争に対応できなくなり、昭和40年(1965)に399あった非鉄金属鉱山(従業員数約4万7千人)は休閉山が相次ぎ昭和52年(1977)には99まで激減し平成8年(1996)には約20(同約2000人)となり(8)、日本の鉱山は戦後の経済高度成長期のなかで斜陽化したまま衰退してしまった。日本の全人口の中では僅かの比率ではあるが、言いたいことは、かつては多くの人々が鉱山で働いていたという事実の提示である。そして鉱山を離れた多くの人々はそれまでの鉱山とは異なる職を得、都市部に埋もれていったのである。
現在、商業的規模で稼行している金属鉱山は鹿児島県菱刈鉱山のみである。
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(1) 湯の中で鋳造し、ローズレッド色の酸化皮膜を帯びた棒状で高い純度の精銅。約60kg単位に箱詰めされて輸出された。
(3) 石油天然ガス・金属鉱物資源機構『銅ビジネスの歴史』(石油天然ガス・金属鉱物資源機構、2006年)(平成17年度情報収集事業報告書第18号)第2章。
(4) 村上安正「江戸時代の鉱山開発」(科学博物館後援会『日本の鉱山文化』、1966)136頁。但し、鉱山の規模で言えば大鉱山から間歩一つまで含まれる。
(5) 通商産業大臣官房調査統計部編『本邦鉱業の趨勢50年史 続篇』(通商産業調査、1964)7頁
(6) 有沢広巳編集『現代日本産業講座 Ⅱ』(岩波書店、1959)349-350頁。
(7) 同352頁。
(8) 秋元勇巳「我が国鉱業の現状と21世紀の展望」(資源・素材学会『資源と素材』)Vol. 114 (1998) No.
6。菊池芳樹「高度成長下における鉱山離職者の職業移動」(慶応大学大学院『社会学研究紀要』19、1979)23-33頁。