2016年8月8日月曜日

奥会津横田鉱山① - はじめに

福島県大沼郡金山町が発行した『金山町史 下巻』(1976年)には金山町内に存在した三鉱山(横田・田代・三更)の歴史が記載されている。横田鉱山からはじまる記述の冒頭は以下である。
金山町はグリーンタフ地域の一角に位置している。したがって、本町の鉱業は黒鉱採掘に代表されるが、貿易の自由化と原鉱の品位、鉱床の規模などから、町の基幹産業として発展することは危ぶまれていた。はたして昭和473月、横田鉱山の閉山に続いて翌489月、田代鉱山も閉山するのやむなきにいたったのである。このほか三更に硫黄鉱山が開発されたこともあったが、すでに閉山になっているので、本稿では、これら鉱山の過去における操業のあとをたどるにとどめる。(『金山町史下巻』549頁。)
以下、この記述に続いて、発見から閉山までの経緯、鉱床や鉱石の特徴と採掘方法、設備の概略、生産量とピーク時の従業員数などが書かれている。各鉱山とも僅か7601,200程度の文字数、すなわち400字原稿用紙の2枚から3枚という薄さである。そこに暮らした人々の生活や周縁地域との関係性などには一切触れられていない。「すでに閉山になっているので」「これら鉱山の過去における操業のあとをたどるにとどめる」という突き放し方は、少なくともその地の鉱山社宅で幼少年期を過ごした我が身からみれば、鉱山生活者は金山町とは無関係だったかのように宣言されている思いを抱いてしまう。同じく鉱山を抱えた秋田県協和町(旧)の町史/鉱山誌編纂における真摯で深い対応姿勢とは全く異とするものであり、はじめて『金山町史』を手に取ったときは内容の軽さに落胆した。僻みっぽい言い方になるかも知れないが、この町史が対象とするのは、その地に生まれ、その地に育ち、その地に眠る人々、言い換えれば、この地で長年にわたって生活し、文化や価値観を共有した人々のみを対象としているのかもしれないとさえ思っている。
しかしながら、『金山町史』より詳しく横田鉱山の歴史をまとめて記述した刊行物はない。

このブログ(「奥会津横田鉱山」)の目的は、鉱山と周辺地域社会との関係を主軸に置き、横田鉱山の歴史をまとめることにある。また、横田鉱山と同一行政地区に存在し、極めて短命に終わった田代鉱山にもふれる。なお、『金山町史』では出典や文献、参考資(史)料が併記されていない。本ブログではその欠点を補うため、また自分の振り返りを確実にするため、参考とする資料や引用文献を明らかにしておく。

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