福島県横田鉱山の社宅に住んでいた頃、通学していた小中学校は大沼郡金山町立横田小学校および横田中学校であった。小学校は現在もまだ存在するが、中学校は2009年に廃校となり金山中学校に統合された。金山町にはかつて中学校は3校あったのだが、現在は金山中学校1校となっている。町は過疎化が進んでおり、2015年現在横田小学校は全校生徒11人、金山中学校は同じく32人でしかない(http://www.gaccom.jp/、2016年8月29日)。
私が横田中学校を卒業した1965年の集合写真を見ると1クラスが47人と48人の2クラス、合計95人が在籍していた。ちなみに昭和40年(1965)の横田小学校全校生徒数は197人/6クラスで<1>、横田中学校は同じく227人/6クラスであった。金山町全体での小中学校生徒数は1,735人であった<2>。それが今、2016年8月1日現在では全町民人口が2,203人である(金山町HPより)。広報には「児童生徒数の社会的増(ママ:筆者註)は鉱山関係に期待される以外は、工場誘致でもない限り見込めない現在、年度毎の減少傾向は、(昭和:筆者註)45年以降も続くものと予想され、町学校教育の重要な課題となっているのであります」と記載されているが<3>、鉱山の閉山と50年後の今を想像できえたであろうか。
私は横田小学校・横田中学校の卒業アルバムを持っていない。紛失したとかではなく、卒業アルバムはもともと製作されていない。手もとにあるのは集合写真と卒業記念文集の二つだけである<4>。その集合写真にしても生徒の氏名が書かれたものはないので、今となっては写真に写っている同級生が誰なのか判らない人も多い。文集に記載されている名前を参照し、確実に特定できる人と、多分この人であろうと想う人数を合計しても、47人中9人が分からない。これは私が在籍したクラスの場合であり、学年すべてに渡ると95人中31人が分からない。特に女性のほうが分からない。見覚えはあるような気がするだが…。
そもそも、小中学校とも校歌なるものがなかった。中学3年の時に校歌を作りたいと行動したのであるが、実現しなかった(経緯は記憶している)。自分が在籍する学校の校歌を歌えるのは会津高校入学後からであった。
2年前の2014年に、2009年現在の同級生の住所録を入手できた。83人の名前が載っているのだが2人については全く記憶がなく、卒業文集にもその名はない。「昭和44年度 金山町成人者名簿」にも掲載されていない。なぜなのか、誰なのか、さっぱり分からない。
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<1> 現在横田地区には横田小学校1校しかないが、昭和40年には横田小学校以外に横田小学校山入分校・大塩小学校があり、3校を合計すると学童数・クラス数は399/15となる。
<2> 『広報かねやま』(金山町)第10号昭和40年(1965)3月1日:2頁。
<3> 前掲註1、1頁。
<4> 写真に写っている人数は合計95人だが、卒業文集に載っているのは94人でなぜか一人が文集から欠けている。しかし、現在も地元に居住しているようである。
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