かつて社宅があった場所は閉山後しばらくは何もない平地であったが、平成26年(2014)現在は、杉林の中に未舗装の凸凹の激しい道路があるだけで、かつての鉱山の様子はうかがえない景観となっている。図M-13は図M-4(2016年7月26日 宮田又鉱山③)の風呂場付近から南側を見ており、図M-14は同じく左下部の社宅近傍より笹台橋を見たものである。また、図M-15は図M-4上部の芦倉橋を見ており、橋の手前右を折れると鉱山の元山に入る。
大仙市協和地区には「大盛館(民俗資料展示館)」<56>があり、そこには鉱山関連の写真なども展示され、協和の鉱山を伝える活動を行い、「宮田又会」の事務局もそこに置かれている。これらは大仙市によって運営されている。協和に生きる人たちは、かつて存在した鉱山の歴史を大切に守ってきている。しかし、訪れる人はごく僅かである。
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<56>
かつて大盛小学校があった跡地に「大盛館」が建てられており、大仙市は年間約530万円の予算(平成25年度)をあてて運営している。
1 件のコメント:
はじめまして。秋田県大仙市の刈和野に住んでいる
タワラヤというものです。
貴方の宮田又沢の記事内容に感動しましたので
書き込みさせていただきました。
私は、大仙市刈和野で生まれ、上京し都会暮らしを数年経て、
実家の秋田に戻って生活をしています。
秋田に戻ってきてから、渓流釣りをはじめたもので、
大仙市内の沢の情報をネットで定期的に調べていたりしたのですが、
今年は貴方のホームページが検索にヒットしました。
昨日、宮田又沢で釣りをしたばかりでしたので、
何かのご縁だと思い書き込みさせていただきました。
私は年に10回程、宮田又沢を訪れ、
ここでの釣りを楽しんでいます。
今では支流の沢の名前も全て覚え、
下から上まで地形もほとんど覚えてしまいました。
渓流釣りというのは川の中を歩いてあがっていくのですが、
帰りは川から出て側道を歩いて帰ります。
そのため、月1,2回のペースで宮田又沢に通うと、
すっかり道も覚えてしまいました。
釣りと一緒にランチを楽しんで帰るというのが
宮田又沢の楽しみであります。
協和というのは、鉱山の多いところなのは
認識があったのですが、
先日、大仙市協和の淀川へ釣りに行った際に
鉱山を探している人と出会いまして、
沢と釣りばかりに興味があった私は、
その方のお話についていくことができませんでした。
その日の帰宅後、協和の鉱山について調べていたのですが、
昨日(9月11日です。)宮田又沢へ釣りに行った後に
ネットで宮田又沢について調べていたところ
貴方のホームページを拝見しました。
昨日まさに何気も無く通っていた道が
鉱山の街だったところであり、
内容を全て読ませていただきましたが、
当時の状況が鮮明に分かるような内容で大変興奮いたしました。
よくここまでお調べになったものだと感激しております。
ここに書いてある貴方の情報だけでも、
十分に探究心が満たされる内容ではありましたが、
機会があれば、進藤孝一氏の『宮田又鉱山誌』『協和町の鉱山』も
一度拝見したいなと思いました。
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