まとめの意味を込めて二本木橋の位置と西部橋の位置の変遷について以下に記す。
上図のa付近に天保年間に橋が架けられ、明治31年(1898)に木橋に変わり、大正2年(1913)にaの位置に木造吊り橋となり、昭和29年(1954)にコンクリート永久橋となってbの位置(aより約50m上流側)に架け替えられ、平成23年(2011)新潟・福島豪雨で落橋し、仮橋として約2年間運用された後の同25年(2013)に約270m上流側のCの位置に現在の二本木橋が架けられた。
一方、越川から西部に架けられた西部橋が最初に確認されるのはX地である。大正2年(1913)測図同3年発行の地図にはその橋が確認できるが、昭和6年(1931)修正後の地図(同8年発行)、および同27年修正後(同年発行)の地図には越川・西部間の橋は確認できなかった。同33年(1978)にはyの位置に橋長121.6m/幅3.5mの鋼下路ランガー桁橋が架けられたとある。そして前記豪雨で落橋して現在はzの位置に移っている。
前にあげた大正2年測図の地図に比べて川幅が広くなっている。これはダムによって川が堰き止められた結果である。
前にあげた大正2年測図の地図に比べて川幅が広くなっている。これはダムによって川が堰き止められた結果である。
0 件のコメント:
コメントを投稿