二本木橋のある会津横田は現国道252号線にあり、この道は旧街道で言えば伊北(いほう)街道である。伊北街道あるいは伊北道は一般的には馴染みがなさそうであるが、沼田街道(会津沼田街道)の一部といえば少しは分かりやすくなるし、ウェブ上で国土地理院の地図をみれば国道252号線には沼田街道の文字が確認できる。
沼田街道は群馬県沼田より会津若松を結び、江戸期、幕府直轄地である南山(みなみやま)御蔵入領を貫通する3本の街道がつなぎ合わされている。南から北に向かって上州街道-伊北街道-越後街道と結ばれる道である。伊北街道は気多宮(現会津坂下)から只見までの約16里である。気多宮から柳津までを柳津街道と呼んでいる場合もあり、その場合は柳津から只見までの約14里を伊北街道としている。
文献には会津田島や伊南(いな)から只見を通り六十里越・八十里越で魚沼や三条に抜ける道を越後裏街道と呼称する記事もあるが、新潟県津川から奥川-山都-喜多方-塩川を経由して若松に向かう道も越後裏街道とするものもあり紛らわしい。また、金山谷や伊北谷から若松に向かう場合は坂下通りや若松街道と呼ばれもした。以上は『会津の街道』に説明されていることで、一冊の本の中でも多様な呼称についてはきちんとは整理および説明されていない。
当初沼田街道は知っていても伊北街道の名が分からず、そもそも伊北はどこの地を指すのかも知らなかった。しかし、南会津の伊南村は知っていたのだからそれに隣接する地域が伊北であろうとはすぐに理解できたはずである。自分の貧困な想像力に落胆した次第。
現只見町地域がかつては伊北と呼ばれていたことにある。1952年までは伊北村であり後に只見村に改称され、現在に至っていっている。
田島から只見の間には駒止峠があり、旧伊北街道には駒啼瀬峠(現三島町)があった。駒(馬)も止まる峠、駒が啼かせられる峠と読めば、伊北街道の奥会津は峠を越えた山中奥深く、交通が不便であった地域であると容易に想像できるではないだろうか。
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