2018年7月26日木曜日

奥会津横田にある二本木橋の歴史(1)

横田鉱山社宅に住んでいた頃、近くには只見川が流れていて、そこに架かる二本木橋は私にとっては横田のランドマークのような存在だった。奥会津を車で走り横田を通過するときは必ず二本木橋の近くに立ち止まり、橋の上を歩き、少し距離をとっては写真を撮る。橋は小学生や中学の時の想い出が流れている場所である。水面が低くなっているときは川岸の岩まで降り、そのようなときは父親がときおり釣をやっていた。橋のすぐ近くには人びとが出入りする滝沢商店ヒロセが今もある。昭和30年代半ば頃と思うが、橋の上から幼女が落ちて死亡し、すぐ近くで駄菓子屋を営んでいた母親が泣き崩れた橋であり、秋田市から従姉妹が来たときは川幅の中心に立って写真を撮った橋である。

2011年に東日本大震災があり、原発の原子力事故があったその年の7月末に新潟・福島豪雨で金山町は大きな被害を受け、只見川の3箇所の橋が落ち、JR只見線の只見と川口間は不通になった。いまも線路は雑草に覆い被さっている。二本木橋も消失し、2年後には新たな橋が架けられた。橋が落ちる前年(2010年)、仮橋だった2013年夏、新二本木橋が完成した翌年2014年の春、さらにその翌年2015年の春と横田を訪れている。訪れる度に二本木橋周辺は変貌し、自分の思い出は希釈されていくようであった。
そのようななか、二本木橋の歴史を知ろうとして町史や郷土史を開いても何れも断片的で満足できないでいた。ならばと、自分なりに納得できるようにまとめようと思った。資料は手持ちの町史や郷土史、ウェブから集められる情報だけである。といってもそれ以外には何もないに等しい。
以下、何回かに分けて(脇道にそれながら)記載する。

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