「友子」とはなんぞやと、簡便に知るにはこの一冊があれば十分である。舞台は歌志内の炭砿であり、金属鉱山(以下鉱山)とはやや趣が異なる気がしないでもないが、「友子」の全容を知ることが出来る。但し、書かれていることが歴史的にすべて正しいとはいえず、諸説があるということを頭の隅に入れておくことが必要である。
著者は、私の父親より5歳年下の1928年生まれであり、私の父も鉱山で働いていたことがあり、両者とも炭砿や鉱山に日々の糧を求めた最後の世代である。そして、その父親のもとで生活していた私の年代の人たちは、幼少時や10代に炭砿・鉱山で暮らしたことのある、炭砿・鉱山生活者の最後の世代である。
現在商業的規模で稼行している炭砿(坑内堀)は釧路にある会社が日本唯一であり、金属鉱山は鹿児島県に唯一つあるだけである。福祉や労働衛生などの側面から鉱山を研究する人たちはいるけれど、鉱山研究の場は狭まり、現地調査をするにしてもそこは廃坑(廃鉱)となっているか、あるいは跡形もなく残滓にすら触れられなくなっていることが殆どである。自ずと文献による調査研究が中心となり充足感は薄らぐばかりである。まして生活(史)は過去の文献からイメージするしかないなか、本書は炭砿で生活した著者の息吹や体の温もりを感じられ、私にとっては貴重で大切な一冊である。
それにしても、栞紐が頁の中に挟まれたままで、読まれた形跡もない美本であるこの本が90円の価値しかないとは、廃れた鉱山を象徴しているようで寂しい。