足尾銅山は以前より行きたかった処で、今回やっとそれを実現できた。春日部の自宅を出てから久喜ICで東北自動車道に入り、栃木ICで降りるようにナビを設定した。栃木経由は遠回りになるがこれはわたらせ渓谷線沿いの道路を往復しないためであった。しかし、ナビは佐野で降りよとルート変更を求めてきて、先ずはそれを拒否すると次は岩舟JCTで降りよと要求してくる。一般道での渋滞でもあるのかと勘違いして結局は岩舟でおりてからナビを再設定し、県道15号に入ってくねくねした山道を上り下りし、12時少し過ぎに足尾銅山観光の駐車場に車を止めたところでKoYoから電話が入る。「今どこにいる?」「足尾にいる」「俺も足尾にいる」ということで、数百メートルしか離れておらずすぐに合流。
足尾歴史観に入り、ボランティアの女性の名札の姓をみて「もしかしたら会津に関わりのある方ですか」と尋ねたら「嫁いできたところが会津から流れてきた家」だと仰る。下の名前はオレの息子の嫁さん、およびKoYoの息子の嫁さんと同じ漢字の名前であり、会話が続いて退館するまで一緒にいて、足尾銅山に関する本を著している人たちのことや歴史の話しなどが続いた。
ISaをピックアップするKoYoは渋川駅に向かい、オレは本山抗から小滝抗を結ぶ県道を走った。この日は山道ばかり走っている。今回の足尾銅山訪問には碌に下調べもせずに昔の写真や本からくるイメージを勝手に作り上げてしまっていたため、結論からいってしまえば期待はずれとなってしまった。歴史観の展示内容は充実していないし、本山抗-小滝抗-通洞抗のルートに残されている鉱山跡は少ない。製錬所は橋の上から眺め、選鉱所は立ち入り禁止となっているし、シックナーも見ることはできなかった。足尾銅山のみならず、鉱山に関することは書物に求める方が理解は深まる。多分この思いはこれからも変わらないであろう(でも別子銅山には行ってみたい)。
わたらせ渓谷線沿いからナビに従って走り、伊香保のホテルに到着したのが16時少し過ぎ。車がかなり汚れていた。そしてこの夜は痛飲。
11年ぶりとなる榛名湖に向かい、仲間とともにロープウェイで榛名山山頂から遠くを眺め、あとはTaHiと二人で榛名湖を一周し、春日部駅に向かってちんたらと車を走らせた。
(6/4追記)榛名湖の世界遺産の「富岡製糸場」に寄ったことを忘れていた。それだけつまらなかったということ。世界遺産登録の影響は大きくこの日は観光客が多い。しかし、世界遺産には懐疑的な気持を抱いている。石見銀山も数年経ったら観光客はもとに戻ってきたらしい。