2025年8月13日水曜日

青木葉鉱山、坑夫取立免状 (15) 名を連ねる人々

取立免状には延べ119人の氏名が載せられていることは前回記した。重複を除外すると114名の氏名がある。重複している人を掲載順に並べ、肩書きと参加区分を併記すると以下である。
 神田義丸-親分/老母立會-越後國産
 永井寅吉-親分/大當番立會-羽後国産
 添田一見-兄分/中老立會-岩代國住人
 國分孫治-兄分/中老立會-岩代國住人
 原田賀正-兄分/中老立會-岩代國住人

 取立状に記載されている順番はどのようなルールに基づいているのか、単なる憶測でしかないが、それは親分の出生(友子加入)の順番でなかろうか。となれば友子内の有力な長老でもある老母役に立つ神田義丸が筆頭にあり、大當番の永井寅吉が親分としては神田の次に名を連ねていることも(何となく)納得できる。

次に氏名から縁戚関係にあるのではなかろうかと想像できる人たちを記してみる。
  橋本利光(平立會/岩代國住人)・橋本利江(平立會/岩代國産)--兄弟かもしれない
  後藤喜三郎(親分/羽後國住人)・後藤喜代一(平立會/羽後國産)---父・子か
  佐藤大五郎(平立會/岩代國産)・佐藤孫四郎(堀子世話人/岩代國産)--弟・兄か子・父
  佐藤彌四郎(子分/岩代國出生)・佐藤彌三郎(依母兄/岩代國産)--弟・兄だろう
  坂爪正夫(平立會/越後國産)・坂爪清(平立會/越後國産)--正しく清くで兄弟か
  小沼元治(親分/岩代國住人)・小沼元市(平立會/岩代國住人)--父・子か
  増子金一(平立會/岩代國産)・増子金雄(平立會/岩代國産)--兄弟か、親戚か
  矢吹喜代太(親分/岩代國産)・矢吹喜代一(平立會/岩代國産)--父・子か

 上記以外に苗字は異なるが全員岩代國産で平立會に名を並べる、渡邊今朝吉・原田今朝治・𣘺本今朝治・近藤今朝夫がおり、これだけで命名を巡って一つの物語が創れそうである。また、岩代國産で大塚重藏(依母兄)・佐藤重蔵(依母兄)は単に同名なだけであろうか。同じ鉱山で働く者どうしの結びつきが強い集団であれば命名の方法にも何らかの動機、例えば知り合いの名を頂戴するとかがあったのではないかと想像するのは最早妄想なのかもしれない。同様なことは両者とも平立會/岩代國産である菊多勝四郎と小林勝四郎にも言えるし、岩代國住人の鎌田惣太郎と渡邉惣太郎にも言える。単に長男に惣太郎をあてたのかもしれない。岩代國住人の田中留吉と橋本留作は末っ子なのであろう-むかし留子の下に末子がいたということもあったが-。二人の彌三郎、彌四郎に彌惣治もいる。

 名前を巡っていろいろと想像を広げ、自分自身のマニアックな性癖を改めて知ることになったけれど、取立状に掲載されている人々の名を眺めると、何だろう、昭和4年頃に鉱山に生きていた人たちへの親近感が湧いてくる。無論それは鉱山社宅に生活した経験に兆すものであろうし、一方では所謂団塊世代で75歳を超え、過去を振り返ることも多くなってきた所為でもあろう。

 昨夜は酔って睡魔に襲われ早く眠りについたため夜も明けぬうちに起きてしまった。本を読む気にもなれず、以前メモしていたことを一気にまとめて久しぶりにアップロードした。取立免状に関するブログはもう区切りをつけたい。自分自身にもっと強くムチを当てねばならない。

2025年4月23日水曜日

青木葉鉱山、坑夫取立免状 (14) 親分・依母兄/兄分・子分

 青木葉鉱山にて1929(昭和4)年7月に行われた取立式では12名の取立が行われ、「交付取立免状」が交付された。本免状を見ると、親分-兄分/依母兄-子分の構成は下記の二つのパターンに分かれる(○○は氏名を意味する)。
 一つは“親分○○産-依母兄○○産-子分○○出生”であり、「産」は渡り(亙利)坑夫である。もう一つは“親分○○住人-兄分○○住人-子分○○出生”であり、「住人」は自坑夫である。共通するのは“子分○○出生”であり、彼等は取り立てられる者である。つまり、「坑夫取立免状」の頭に自・渡が記載されているのは渡坑夫と自坑夫の合同取立であることがここで明示されている。
 親分の下の兄分は、渡り坑夫では「依母兄」と記され。自坑夫では「兄分」と書かれている。すなわち、住人となった坑夫は「親分-兄分-子分」の家族構成であり、渡り坑夫においては擬制的家族構成なので「依母」を付せられる。なお、「依母兄」は「いぼせな」であり、「異母兄」と称するケースもある。また、「親分-兄/依母兄-子分」は「職親-職兄-職子」と称される場合もある。
 
 「産」と付けられている親分の内訳は、越後(1人)・羽後(1人)・岩代(4人)で、一方「住人」の親分も越後(1人)・羽後(1人)・岩代(4人)である。この符合は何かを意味するものなのか。単なる偶然なのか、興味を引かれるが判らない。
 依母兄6人は全員「岩代國産」で、兄分6人は全員「岩代國住人」である。渡りの親分/依母兄につく子分は1名が“越後國出生”で5人は“岩代國出生“である。同じく自坑夫の親分に連なる子分の1名は”相模國出生“で5人は“岩代國出生“である。子分の中で“越後國出生”と”相模國出生“の2人はどういう経緯で青木葉鉱山に流れてきたのであろうか。見習いとして親分/兄分についてきてこの地での取立に認知されたのか、想像は広がるけれど判るかけもない。しかし、その人たちの人生に思いを馳せたくなる。
 
 押印の形が色々ある。四角印、丸状の実印様のもの、三文判様のものがある。これらの相違には資格などによる何か類型化されたルールのようなものがあるのかと分類してみたりしたが見つけられなかった。何も意味はないのかもしれない。
 
 取立状全体には延べ119人の氏名がある。うち5人は重複しているので114人の名が記載されている。重複する5人は何らかの役職に就いており日を改めて後述する。
 
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 青木葉鉱山に関して前回アップしたのは昨年の217日で、脱線してこのブログに最後に記したのは同じく昨年の411日。書き終わろうとする気持ちとは裏腹にどうしてもメモをまとめる意欲がなく、要は唯々怠惰の性癖で放っていた。メモは4年前から1昨年にかけて作っていたからなんとまあ長い年月が経ってしまったのかと自分で呆れてしまう。
 早く締括ってしまおうという気持ちが逸り、もう内容や文章の稚拙さを繕うとはせずにいよう、どうせその力量は備わっていないと自覚し、終えることに重心を移そうと思う。