2025年4月23日水曜日

青木葉鉱山、坑夫取立免状 (14) 親分・依母兄/兄分・子分

 青木葉鉱山にて1929(昭和4)年7月に行われた取立式では12名の取立が行われ、「交付取立免状」が交付された。本免状を見ると、親分-兄分/依母兄-子分の構成は下記の二つのパターンに分かれる(○○は氏名を意味する)。
 一つは“親分○○産-依母兄○○産-子分○○出生”であり、「産」は渡り(亙利)坑夫である。もう一つは“親分○○住人-兄分○○住人-子分○○出生”であり、「住人」は自坑夫である。共通するのは“子分○○出生”であり、彼等は取り立てられる者である。つまり、「坑夫取立免状」の頭に自・渡が記載されているのは渡坑夫と自坑夫の合同取立であることがここで明示されている。
 親分の下の兄分は、渡り坑夫では「依母兄」と記され。自坑夫では「兄分」と書かれている。すなわち、住人となった坑夫は「親分-兄分-子分」の家族構成であり、渡り坑夫においては擬制的家族構成なので「依母」を付せられる。なお、「依母兄」は「いぼせな」であり、「異母兄」と称するケースもある。また、「親分-兄/依母兄-子分」は「職親-職兄-職子」と称される場合もある。
 
 「産」と付けられている親分の内訳は、越後(1人)・羽後(1人)・岩代(4人)で、一方「住人」の親分も越後(1人)・羽後(1人)・岩代(4人)である。この符合は何かを意味するものなのか。単なる偶然なのか、興味を引かれるが判らない。
 依母兄6人は全員「岩代國産」で、兄分6人は全員「岩代國住人」である。渡りの親分/依母兄につく子分は1名が“越後國出生”で5人は“岩代國出生“である。同じく自坑夫の親分に連なる子分の1名は”相模國出生“で5人は“岩代國出生“である。子分の中で“越後國出生”と”相模國出生“の2人はどういう経緯で青木葉鉱山に流れてきたのであろうか。見習いとして親分/兄分についてきてこの地での取立に認知されたのか、想像は広がるけれど判るかけもない。しかし、その人たちの人生に思いを馳せたくなる。
 
 押印の形が色々ある。四角印、丸状の実印様のもの、三文判様のものがある。これらの相違には資格などによる何か類型化されたルールのようなものがるのかと分類してみたりしたが見つけられなかった。何も意味はないのかもしれない。
 
 取立状全体には延べ119人の氏名がある。うち5人は重複しているので114人の名が記載されている。重複する5人は何らかの役職に就いており日を改めて後述する。
 
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 青木葉鉱山に関して前回アップしたのは昨年の217日で、脱線してこのブログに最後に記したのは同じく昨年の411日。書き終わろうとする気持ちとは裏腹にどうしてもメモをまとめる意欲がなく、要は唯々怠惰の性癖で放っていた。メモは4年前から1昨年にかけて作っていたからなんとまあ長い年月が経ってしまったのかと自分で呆れてしまう。
 早く締括ってしまおうという気持ちが逸り、もう内容や文章の稚拙さを繕うとはせずにいよう、どうせその力量は備わっていないと自覚し、終えることに重心を移そうと思う。