2022年9月18日日曜日

青木葉鉱山、坑夫取立免状 (4) 坑夫

 鉱山、鉱夫と坑夫
鉱山とは地下資源の有用鉱物を採掘して工業用原料として供給する事業所を指す。金属鉱山で言えば、鉱山は試掘から製錬・精錬までを含む鉱業全般に近い意味を込めていたり、時代によっては採掘する現場そのものを鉱山と呼んでいたりする。

 鉱山で働く者は鉱夫あるいは坑夫と総称されることが多く、一般的には鉱山労働は地中の坑内で鉱石を採掘することと捉えられることが多い。しかし、鉱山労働は坑内労働と坑外労働に大別され、坑夫は、本来は坑内労働であり採鉱夫または開抗夫を意味していた。鉱夫と坑夫の意味するところは文献によって一定ではない。採鉱夫を鉱夫と呼んでいたり、坑内夫を鉱夫としていたり、採鉱夫を坑夫としていたりと読む側は混乱する場合もある。広辞苑(第6版)でも、坑夫は「鉱山・炭山の採掘作業に従う労働者」で、鉱夫を「鉱山で鉱石採掘に従事する労働者」としており、鉱夫は坑夫に包含される用語と捉えられ、曖昧である。本ブログにおいては、次のように定義しておく。すなわち「鉱夫は鉱山労働者一般」を指し、「坑夫は坑内の採鉱作業に従事する者」とする。よって文献において採鉱夫を意味するものとして鉱夫を使用していても、本ブログでは坑夫と言い換える。「坑内夫も鉱山の坑内での労働に従事する者」とおき、坑内の採鉱作業に従事する者としての坑夫とはしない。整理すると、鉱山で労働する鉱夫には坑外夫と坑内夫がおり、坑内夫の中に坑夫が位置するものとしている。坑内労働(坑内夫の労働)の用語についてはより詳しく後述する。尚、坑外労働については原則言及しない。

 私的なことであるが、私(筆者)は鉱山というと、鉱山全体の選鉱所や社宅以外に直接目にした設備として、工作機械-旋盤やボール盤、選鉱場の上にあった巻揚(上)機、トロッコ、トロッコのレール、ボールミル、浮選機、発電機などが思い出され、坑内労働に携っていた人たちについては労働を終えて社宅まで歩いていた姿を思い出す。坑夫という言葉をはじめ、鉱山での暮しの中で○○夫という言葉には記憶が薄い。鉱員・職員・職長・技師・・・といった言葉に馴染みがある。1953(昭和28)年頃から1972(同47)年までの間に積み重なった記憶である。

 坑夫とは
坑内職のメインは、支柱で保坑された坑内で鉱石を採掘し、それを運び出すことである。つまり坑内のメイン作業は支柱構築(坑内の支保)、鉱石の掘り出し-鉱山によっては採鉱を金堀/銀堀(かねほり)とも称していた-、鉱石の運び出し、という三職である。

 近代以前の採鉱は、坑夫(または掘大工、金穿大工)が手掘りで坑道を切り、鉱床から鉱石を掘り出して、外まで運び出した。坑夫は簡単な支柱や足場も自分で作った。もっとも規模の小さい鉱山や景気が悪い所では、支保に従事する留大工は確保できず、山師の指揮の下で坑夫が支保に従事することが多かった。

 坑内の枠組み、支保(支柱を作る)に従事する者は、四つ留大工あるいは留大工、あるいは支柱夫、支繰夫と呼ばれる。規模の小さい鉱山や景気が悪い所では、支保に従事する留大工は確保できず、後述する山師の指揮の下で坑夫(掘大工)が支保に従事することが多かった。

近代化に伴って火薬で発破を掛けるようになり、また作業の分業化がすすむと、手掘りで発破孔を掘るのは坑夫、岩盤を削っていく進鑿夫、馨岩機を使用して掘るものは盤岩夫(鑿岩機夫)と言った。

鉱石を運搬するのは運搬夫(坑内運搬夫、旧称は負い夫)である。近代化された鉱山では鑿岩機の摩耗鑿の交換や故障鑿岩機の運搬も担った。負子や手子は補助作業者であり、負子は石集めや運び出し、木材の運搬などに従事し、手子は坑夫の下働きや手掘りの鑿の運搬、支柱夫の手伝いであった。雑役夫はその呼称通り雑役を担う労働であり、文献で見た訳ではないが負子や手子を括ったようなものであろう。雑役夫や運搬夫は坑内で働いても坑夫ではなかった。

すなわち「坑夫」とは坑内で採鉱労働に従事する者-手掘り坑夫(堀大工)・鑿岩夫・支柱夫(留大工)を指すものと捉えられる。

 坑夫に求められる技術
岩石に穴を穿つことができれば坑夫であると捉えるのは正しくない。近代以前の坑夫であろうと近代の鑿岩夫であろうと求められる技術・技能に変わりはない。すなわち、岩石や鉱床の状況に応じて対象鉱物を効果的効率的に採鉱することである。品位のよい-含有率が高い-部位を判断し、どこに鶴嘴を振るのか、どこに鑿を当てるかの、あるいはどの位置にどれだけの火薬量を充填すればよいのかを判断した上で鏨を使いこなし、鑿岩機であればその角度や穿孔する深さを的確に決めることである。採鉱するばかりではなく、軽度の大工や鍛冶仕事もこなし、他の坑内作業にも通じる能力も求まれた。支柱夫であれば安全に抗道を確保する支保の技術が必要となる。それらには熟練した坑夫から教えられつつ相当の年限と訓練を積まなければならず、すなわち技術が継承されることで坑夫は技術を高めながら鉱山で働き稼ぎを得る。

 坑内労働に就く者は一般的に雑役夫からはじめ、次に運搬夫となり、運搬夫を経験してから採鉱夫になることができた。運搬夫を雑夫とする鉱山もあった。採鉱夫でも最初は手掘り坑夫そして鑿岩夫となる鉱山もあった。技術の難易度によって地位、すなわち賃金は雑役夫<運搬夫<(手堀り)坑夫<鑿岩夫となる。さらにその上は支柱夫であった。支柱夫は坑道を安全に支えるために「支柱夫は神」と一目置かれたが、鑿岩夫の賃金が支柱夫よりも高い鉱山もあり、一様に支柱夫が一番上位にあるとは言えないようである。<1><2>

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<1>  昭和31年の新鉱業開発宮田又鉱業所での坑夫の賃金は日当であり、多くは請負計算
        による出来高払いであった。
      鑿岩夫:1m掘削で2千円、火薬代その他を差し引き日給700800円。
      運搬夫:一屯車一台あたり6円、六分屯車一台当たり4円の単価で,日給は400500
      円。
      支柱夫:500600円。
      出典協和の鉱山と松田解子文学を伝える会・宮田又会編『宮田又鉱山思い出文集
      鉱山桜』(協和の鉱山と松田解子文学を伝える会・宮田又会、2013年)83-84頁。
  鉱山には「やま」とルビが付されている。
     
<2> 1906(明治39)年の東北平均日給は以下のようであった。
      ① 金銀山
   坑内=523厘、支柱夫=580厘、手子(男)=350厘、選鉱夫(男)=31
   銭0厘、製煉夫(男)=350厘、運搬夫坑内(男)=337厘、
   職工坑内(男)=3?0厘、職工坑外(男)395厘、雑夫坑外=32銭?厘、
   選鉱夫(女)=11銭0厘、製煉夫(女)=130
    ② その他
   坑内=627厘、支柱夫=535厘、手子(男)=289厘、選鉱夫(男)34
   1厘、
   製煉夫(男)=397厘、運搬夫坑内(男)=445厘、職工坑内(男)=40
   6厘、
   職工坑外(男)=43?厘、雑夫坑外=335厘、選鉱夫(女)=144厘、
   製煉(女)=142
     出典:農商務省鉱山局『鉱夫待遇事例』(19081月)、56頁。