近くの書店の中をぶらついているときに原田実『偽書が描いた日本の超古代史』(KADOKAWA夢文庫、2018年)があり、ちょいと手に取って頁を捲ったら「物部文書」のところで偶然にも「秋田県の山中、大仙市協和」の文章が目に入った。そしてそこに「唐松神社」や「宮司物部家」、「進藤孝一」の名もある。かつて暮らしたことのある宮田又鉱山について調べていたときに登場する地名・神社・人名である。ただそれだけでこの文庫本を購入した。かつてここのブログにも書いていたことと重複するが、以下をメモっておく。
宮田又鉱山は長い間放置された後、明治初年(1868)に境唐松神社神主物部長之が畑鉱山開発に着手したが本人の死去により権利が放棄された。唐松神社は代々「長」を付して命名されるらしく、長仁・長輝の名があり、日本の(著名らしい)物部長穂やその弟で陸軍中将だった長鉾はこの唐松神社での生まれである。
内容を公表した『物部文書』の研究を託された郷土史家の進藤孝一は旧協和町にあって鉱山の歴史を探り『宮田又鉱山誌』などの鉱山誌や協和町の歴史を編んだ人である。
『物部文書』や唐松神社の歴史・伝承には関心がなく、上記だけのメモであるが、妙に繋がりを感じたので書いてみた。
唐松神社のある羽後境はかつての宮田又鉱山への入口ともなる地であり、近くを走る国道13号線は何度も通っているし、境駅周辺も4年程前に車で巡っている。しかし、この神社には足を運んでいない。今にして思えばその時にもうちょっと調べておけば訪れたであろうにと悔いてしまう。